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項目 内容
ID J1600279
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔西灘村史〕○兵庫県
本文
[未校訂]嘉永七年六月十五日(即安政元年)
先十三日正昼と八ツ時分、両度大地震の所尚今日朝八ツ時分
に、前代未聞の大地震ゆり、其地震の長きこと三町斗歩行致
間舗夫よりの日出迄に度々ゆりつゝ寝る事能はず。朝飯時分
に大地震ゆり、夫より昼夜に度々ゆり、凡大小総て十七八度
の事なり。名々家の内を逃出し、大地抔に満座、夜を明す同
十六日も地震ゆり、十七日、十八日、十九日、二十日迄昼夜
大小度々にて、凡七十余度の地震あり。其内右十五日の地震
には、木の枝までも動き中々歩行ならず。江府抔は今月一ケ
月の間にて、毎日大五度小七度一ケ月中震はざる日も無し。
夫に付江(ママ和カ)州奈良、大和、伊賀辺等巌石及家屋倒潰大地五寸乃
至一尺破壊死者凡二万人にも及べり。右地震に付摩耶山の土
蔵并に玉垣等崩れ所々損所出来、既に尼ケ崎は家屋凡六十軒
押倒され、五十軒程潰れ往来の両脇に丸太突張りして有り、
往来の邪魔になれり野里村田地三町五段程、地破れ其の内よ
り泥吐出し、農作無益となれり。野里村川渡しより少し尼ケ
崎の方へ帰へる途中、川堤筋通り渡しより一丁程の西、畑よ
り泥吹き出し、作物の畑中に六七寸程上下地底となりしを見
受たり。同二十三日の咄に奈良大仏、郡山、四日市、伊賀、
江州、石山辺、越前福井等地震大小共七十三度或は所により
六十八度にて、家崩れ地破れ人多く死す。後にて火事等あり
同十一月四日昼八ツ時分に大地震にて、凡七十余回震動長
く、非常に心配せり。同五日大地震にて皆家内より外へ逃出
で、或は籔の中へ逃込み、諸道具はころび廻り、凡七十余回
の震動あり。夫れより間も無く阿波の方に雷鳴の如き地鳴あ
り、何の音なるか人皆知らず。一両日過ぎて阿波国辺大津波
にて、夫より海中沖より東へ大阪川口并木津川口辺大津波に
て、船を損せし数も夥し
嘉永七年六月二十日
本月十五日より今朝まで折々地震あり。江州、奈良、大和、
伊賀辺等大地震にて家倒れ山崩れ地五寸或は一尺も破れ人多
く死す。万代未聞の事なり。七八年以前に信州善光寺辺大地
震にて十ケ村家屋倒れ人一万人程死すと言ふ大地震あり。其
外文政十三年京都大地震あり。尚地方には又先日より大地震
あり。八十の老人も未だ斯くの如きを覚へず。摩耶山土蔵宝
物蔵玉垣等崩れ損し、所々の建物損ず現に尼ケ崎東野里村田
地三町五段程、地破れ其内より泥土上り農作皆無となれり
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 278
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 兵庫
市区町村 西灘【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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