[未校訂]まえがき
夫れ天地開闢、道祖大神猿田彦命天降りて、吾
が皇孫の尊を迎へ奉りて導き給ひ、遂に伊勢の
狭長田五十鈴の川上に鎮り定り給ひ、天下太平五穀草木に至
るまで産み給ひ、夫より種々変化有り、豊臣秀吉公御治世、
天下一統、大日本国中平均相成り、弓は袋刀は鞘に納め給う、
万民安穏仕り候、嘉永七甲寅歳六月前代未聞大地震の為に、
諸国大混雑、諸人驚き、是より諸品商売向き大高下、異国船
来超、諸大名様陣取り、色々珍らしき事重宝記録写すべき者
也
大地震大混雑記録
嘉永七年大
地震おこる
一嘉永七年甲寅六月十四日丑の刻(午前二時)、兵庫津近
辺大地震、誠ニ古人も覚えず候事ニて、建
家浜納家土蔵ゆりこかし候様相成り、少々宛の痛み、宮寺町
家の石燈籠打たおれ候もあり、驚き入り諸人生きたるここち
なく混雑ニ及び、夫より四五日の間昼夜幾度ともなくゆり、
前代より聞き申さざる事ニ御座候
兵庫津は怪
我人なし
尤も兵庫津ハ怪我人は御座なく候、右同日同
刻大坂表は大地震ニ大ゆらニ相成り、怪我人
も多くこれ有り混雑、夫より勢州四日市の宿家潰れ大半砕け
候処、出火と相成り、死人怪我人数しれず大変也、其節ハ京
都は小ゆり、格別の損じもなし、奈良大地震、市中丸潰れ同
様ニ相成り死人数知れず、播州地明石姫路室津辺迄ゆり候え
共、格別いたみ候処も御座無きよし、夫より中国下筋ハ常体
の事、追々[鎮|カ]り人気直り安穏