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項目 内容
ID J1600220
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔嘉永七甲寅正月改写日記・御触留御寺部や〕○宇治市宇治蓮華県神社文書 宇治歴史資料館
本文
[未校訂]地震ニ付此節柄
皇居中之義ニも有之候付兼而触置可通裏(ママ候)借屋ニ至迄火之元弥
可念入尤洛中洛外江可相触もの也
とら
六月十四日(ママ)十五日午下刻ニ至来早々順達仕候事
夜中八ツ時大地震之処尚又暁六ツ時同様当所所々大破御寺御
築地中ノ□打倒シ所々菱形ニ成大ユガミ壁等も余程落柱下り
候故十六日御殿へ此段御届申置候御社之義燈籠二ツコケ少し
キヅ付候得共其余は格別ニ無之候亦宅ニおゐても無事乍去
少々宛之事ハ家別不残荒ラシ候其後日々[働|ユリ]り詰メ諸人野宿之
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 204
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 宇治【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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