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項目 内容
ID J1600217
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔耕石庵文書〕○京都宇治市歴史資料館
本文
[未校訂]耕石庵
乍恐奉願上候口上之覚
一当御庵去ル寅年大地震已来所々及御破損(ママ寄)候得共御時節柄之
御事故先々可成ニ取繕候様同行中被申候ニ付任其意自力を
以色々と仕罷在候へ共何分瓦之損故雨漏仕候而次第々々及
被損最早取繕方も無御座当惑至極奉恐入候、唯今之内御手
入有之候得は御費茂少々ニ而御座候へ共此上捨置候ハゝ其
上ハ新ニ御造作無之候而ハ難相成御場所も御座候左候得は
格別御物入も相嵩累り可申と重々奉恐入候、依之御時節柄
にも奉恐入候へ共右難捨置御場所計り可成ニ御修覆被為仰
付被下置候ハゝ難有奉存候、尚追々同行中相頼此度之御入
用も連々上納仕候様取計可申と奉存候、何分当今ニ而ハ前
段之次第故不得止事奉願上候、乍恐 御憐察可被成下宜御
賢慮之程奉願上候 已上
槇嶋
御庵
同日
真成坊
大心印
御納戸
御役人衆中
右前段之趣真成坊願之通私共一同奉願上候、此段宜被仰上被
下度奉願上候 已上
七日講印
五日講
寄講
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻3
ページ 202
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 宇治【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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