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項目 内容
ID J1500448
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔村上家乗〕広島広島大学文学部
本文
[未校訂](十月)
○十日庚子 晴暖小春之景也(中略)
「江戸表ゟ当月三日仕立飛脚到着江戸表同二日之夜四時
頃俄ニ地震厳敷
姫君様
若殿様早速御馬場江御立退被遊三日暁七時頃 御帰殿被
遊何之御気動も不被為在御住居中ニ而雀御門押倒其外外
回り煉塀不残御長屋一棟土蔵一ケ所押倒五ケ処御屋敷も
損所有之候へ共格別之義ニも無之公方様ゟ非常之儀出格
之 思召を以上使御両人御入来有之趣申来候由今日御年
寄衆ゟ御連手紙を以被申上候由也 上使は御名前は忘れ
たり
○十五日乙巳 晴暖(中略)
「江戸表地震之様子追々承候処何分大変ニ而昨年当所霜
月五日之震ゟ五層倍も強キ様被考当 御屋敷内ニ而も怪
我人十二三人も有之候由右通之儀ニ而処々倒れ家有之ゟ
出火となり五口六口程も同時ニ燃出御大名様方御屋敷始
町家迄大半焼失同五日之朝迄も未鎮火ニ不至由尤当
御屋敷は火難は御遁被成候得共何分破損所は余程之義ニ
而御届も有之候由也(以下略)
○廿日庚戌 晴暖(中略)
当月二日江戸表地震ゟ之出火ニ而南部美濃守様伊東修理
大夫様御上屋敷御焼失之旨今日御年寄衆被仰上候由也
(中略)
(十月二十九日上欄外)
「江戸御沙汰書之内
十月十六日
松平陸奥守様
此度稀成地震等ニ而不敢(ママ)
上納米仕度旨内願之通達
御聴寄持之事ニ被
思召候依之壱万俵上納被
仰付候此節御救助筋之御用
達ニ可被差加候
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1909
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 広島
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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