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項目 内容
ID J1500357
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔異国船到来の筆記嘉永七寅年十一月四日大地震安政二卯年十月二日大地震筆記〕○下伊那郡阿南町浅野佐々木克衛家文書長野県史刊行会収集史料
本文
[未校訂]一年号替り、安政二年卯十月二日夜四つ時ゟ大ぢしんゆすり
出し、尤関東辺の事に候、此辺は差たる事も無之、江戸表
ゟ東は大雨と雷と大風と、其中江大地震誠にしんとうらい
てんとは此事、江戸七分通り潰れ、所々出火となり怪我人
即死の者何万人共数不残(ママ)、こゝにうでをはさまれたも有
り、足をしめられたも有り、ひう〳〵きや〳〵たすけくれ
よとよふ声斗りにて、其内出火となり、まめ成者も我身大
事とにけ行斗り成、大名屋敷旗本屋敷〳〵潰れ候事数不
残(ママ)、此時の地震信は州辺は差たる事(無欠カ)御座候
一扨地震も享保年中大地震ゟ之此度ハ地震に御座候との云つ
たへに候、此後とても又大地震と相見江候は、火をけし
早々そとへ出候ケ宜敷御座候、其心得折々家内女子供迄よ
く心得候様咄し聞せ置事也
一又翌辰九月十四日昼頃江戸表事外大風にて、雷もなり辰巳
風にて吹潰れ候事、昨年之地震ゟ又数多御座候由、人死等
も大辺(ママ)な事に候、此近辺ゟ江戸行居候者も中谷村佐太郎の
忰幸治郎此節江戸表にて品川辺江兄弟つれ川せつしように
参居、俄の風雨ゆへにけもおらせつ相果申候、弟は若気情
にてにげたすかり申候、此近辺の内下梅田の者も相果、新
野村者も相果、此近辺の者でさえ相果候故、諸国ゟの寄集
り場所は夥敷御座候哉、まれなる事を書印申候
一江戸地震大風に付財(ママ)木高値に相成申候、七尺廻程檜拾五六
両位に売れ申候
一青竹に実入、竹高値に相成候、尺廻の竹壱本三朱位に御座
候、八九寸廻金弐朱位に候、六七寸廻の竹両に五拾本位、
二三寸位の小竹は目方五十貫位、尤壱分に付拾貫此節わず
かの藪にても弐拾両位に相成候竹藪数多有之
安政二年
一卯年は田畑共に宜敷作に御座候、米壱両に壱石位に御座候
安政三年
一辰年秋作は大豊年廿年此方の上作に御座候、米拾両に廿八
九俵位仕候
一辰年迄折々地震ゆり申候、前月七八ツ程ゆすり申候
一巳年頃ゟ追々ゆすりさし申候
浅野村神主
佐々木求馬印
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1844
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 阿南【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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