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項目 内容
ID J1500206
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔白竜山日記録〕○越谷越谷市史編さん室提供文書
本文
[未校訂](十月)
一三日 晴、昨夜四ツ半頃歟、古今稀成大地震一同肝を潰し
逃出し候事、但し下男与吉のミ茶之間椽ゟころげ落チこし
痛ミ候得共、外ニは怪我無之、○即刻御見舞として夜中ニ
西楽寺崇源寺登山、今日称名寺・円福寺・川崎本二郎其外
共御見舞登山之事
○此地震当方ゟ江戸は一入大変、浜辺は水入候、家はたお
れ通行も出来兼候程之由、此街道昨夜ゟ早打往来□□(ムシクイ)夥
敷通行、其上江戸は火事出来言語道(ママ)断之由、実ニ稀有之大
地震前代未聞、○御本丸も崩れ□(ムシクイ)諸侯御屋敷も多分崩れ
人死ニ沢山之由、痛心〳〵当山本堂始メ座敷庫裏昨年ゆか
み直し白壁等塗直し候場所不残ゆかみ、白壁ゆり落し手入
いたし候甲斐更ニ無之残念之事ニ候、○昨夜ゟ引続今朝迄
ニ小地震十二度ゆり、其度之戦々兢々胆を潰し候
一十二日 晴 〇十三日 雨 昨夜四ツ過重応江戸ゟ帰り、
江戸は千住ゟ山谷辺家并倒れ、実ニ通行も出来兼候程之
事、馬は御□(ムシ)たり共往来留、且芝山抔は山内水入其外□(ムシクイ)
深川は大水入、其外所々火事出来之由
一廿三日 晴 去ル二日夜大地震ニ付代々墓始メ担中石塔皆
々倒レ候ニ付、夫々施□(ムシ)家ゟ早々直し候様申遣ス、且代々
□(ムシクイ)倒れ候石塀□□(ムシ)両人相頼丈内中惣掛りにて今日ゟ直し
ニ取懸候事 ○新宿権蔵石塔開眼
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1585
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
市区町村 越谷【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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