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項目 内容
ID J1500193
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔高橋景作日記〕○群馬県吾妻郡中之条町横尾 高橋英夫家文書
本文
[未校訂](安政二年「農蚕日記」)
(十月)
二日 晴風有て寒し・七太夫方ゟ春次郎助ニ
来る・夜四時頃大地震去年十一月の地震よりはけし夜中十
度余もゆる五十余年覚えさる大ゆれ也○仲之条和市山鶏一
羽くれる
三日 晴風あり(後略)
四日 晴北風甚寒し(後略)
五日 晴○稲をあける○老瞽女を泊る〇二日の夜の地震本庄
辺より江戸甚しきより(ママ)風説あり○薄暮地震ふる元壱舛入現

六日 晴風寒し○盲女逗留○安平来る
七日 晴暖也(中略)〇二日の地震にて江戸町々潰れ両御丸
つふれ出火に成候よし京屋ゟの手紙の写ニ有○暮六過地震
十五日 曇る○地震ニ付地頭所ゟ御用状出来
役宅会合・江戸御城内并町家潰れ焼失御用人ゟ書状左之通
り○御城内御櫓二ケ所大手御門内大番所潰レ御門外酒井雅
楽守様(ママ)御守殿向潰レ出火下馬通桔梗御門内外焼失夫ゟ大名
小路潰家ゟ出火和田蔵外数寄屋橋御門迄過半潰レ夫ゟ外芝
口京橋辺出火深川本所家并ニ潰レ二本橋辺下町通り潰家多
し但し出火ハ無之浅草吉原辺潰家ゟ出火筋違御門内外潰家
多し上野辺潰家ゟ出火小川町雉子橋小石川御門内潰家多出
火になる震方多し麴町半蔵御門ハ震少く市谷御門内外番町
辺震少し牛込御門内外同断小日向辺潰家多く水戸様出火過
半焼失本郷辺少し武家町家死人凡十万余人との事也御救小
屋三ケ所御立
廿七日 晴暖也・婆々いせ町ゟ帰る・江戸
御屋敷二日之地震大破ニ付四ケ村惣代勘四郎并ニ川戸当役
両人大工弐人召連杉皮弐百坪貫板等を筏にて出し早々出府
可為由御飛脚来名主宅会合・村上村塩川車屋娘の診を乞来
る不行・五右衛門振舞
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1570
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 群馬
市区町村 中之条【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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