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項目 内容
ID J1500192
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔敷島村誌〕○群馬県S34・12・15敷島村誌編集委員会
本文
[未校訂]此時の地震一名「安政の大地震」とも云い、江戸がその震源
地であつた、本村には直接の被害は無かつた様である、只所々
石燈籠や墓石の倒れたもの、古家の壁の落ちたもの等があ
つた程度である、江戸は大変な騒ぎで、水戸の学者藤田東湖
や幕末の志士が多く圧死した、其の時のことを記録したもの
は只本村には佃村名主組頭帳に(十二月八日江戸大ぢしん)
とあるのみであるが、三夜沢赤城神社年代記には詳しく記し
てある。「十二月二日夜四時、大地震前代未聞也、其の夜
中、四、五度ゆる、苗が島村石燈籠倒る。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1569
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 群馬
市区町村 敷島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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