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項目 内容
ID J1500125
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔只見町郷土史資料 五〕只見町史編纂起草委員会編・只見町発行
本文
[未校訂](嘉永四亥正月吉日文政以来万覚書)
安政二卯年十月二日夜四ツ時過に、大地震ニ而、江戸ゆり
[禿|つぶれ]、[仍而|よつて]、野ちん(陣)をする事五七日。同月八日九日の頃迄ニ、
震ふ事遠く相成申候。其上、三十二ケ所ゟ火出、焼失ニ相
成、御大名衆御家敷三百余軒[禿焼|つぶれやけ]、土蔵数十万七千三百八十
余、町数五千六百余町痛ミ申候。大地震とハ言なから、両御
丸ハいさゝかも不痛、神社仏閣ハさまていたみも無之候。新
吉原五十町・京町・角町四方八面より火もえ出、不残焼て、
京町すミ少々五十けん片かわ(側)のこる。
其外、小塚原ゟ千住迄焼而、栗橋御関所手前、宿々村々そん
じ申候。貧民御救御小屋立、深川海辺・浅草広小路・幸橋御
門之外都合三ケ所、横十七間竪七十一間。其外、籾蔵御郡代
より御たき出し被下候。尤、死人数二十一万余之書上ニハ相
成候得共、其余何程ニ候哉、相知不申候。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1440
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福島
市区町村 只見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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