Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J1500124
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔只見町郷土史資料 三〕只見町史編纂起草委員会編・只見町発行
本文
[未校訂](嘉永五年御用帳)
此度、江戸大地震大変ニ付而ハ、郡中、郷頭・惣代若松登リ
之様、[尾岐|おまた]郷ゟ之書面、御承知[可被成|なさるべく]候
御用飛脚序を以申来り候[様|よう]。
此度、江戸表大地震ニ而、御城御尽焼、当御屋敷も、三ケ所
焼失之趣承
右一件、御伺として罷出候所、拾弐ケ組[迚|とて]も同様之儀ニ付、
御伺ニ不罷出候而ハ[不相成|あいならざる]義ニ付、私し共ゟ御通達申上 様
被仰聞候間、此段御承知、拾弐ケ組江ハ、御手元様ゟ早速御
通達被成候様、宜敷御取計 可被下候。右ニ付而は、御内談
申上候義候間、来ル十三日、一同若松着御揃ニ相成候様、是
又、御取計可被下候 以上
十月六日
松下ゟ 杉原内蔵之助
長峯四平
長八郎治
星儀兵衛様
安政二[卯|う]年

注、松下ゟ=若松より、拾弐ケ組=東尾岐、永井
野、冑滝谷、大谷下などの若松近辺の組を除く奥
会津の方の組十二ケ組か
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1439
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福島
市区町村 只見【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒