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項目 内容
ID J1500079
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔伊達家文書江戸状書〕北海道立図書館
本文
[未校訂](表紙)
「江戸状書嘉永五子年従十一月
文久元酉年十二月迄十ケ年分控」
(安政二年)
(前略)
一十月十五日付之尊書十一月十三日相達、難有拝見仕候、然
ハ御地大地震所々出火御座候得共、御本店御一同様御別条
無之御凌被遊候由被仰下、何寄恐悦御高運之御慶ニ奉存候、
此度之大変ニて数万人之死亡、其外怪我類焼言葉ニ余リ
候、難事ゟ抽出候御(カ)慶ハ実目出度御事限り無之、私共迄安
心大慶奉存候、右大変承知仕候ニ付、林久為御見舞出府可
仕之処、場所切替年限り之請負四五人、箱館ゟ御用召ニ付
出立仕、品ニゟ越年ニも可相成哉ニ御座候間、市作出府も
相成兼無拠、下男吉五郎を以御伺奉申上候、此方ゟ柴田舎
人様御使者之供ニ仕立申候積所、風順無之、十一月五日此
地出帆ニ付、同廿日過ニハ御地着ニも可相成哉ニ奉存候、右
尊書到来拝見無之内ハ取々評判ニ付、何様之変事被仰下候
哉と御案事申上罷在候処、一同之安心難有候御事ニ奉存候、
御本店持数ケ所之内、因幡町長家而已御類焼之由、聊之御
事ニて相済候得共、此後之御手入中々以不容易、是ハ一統
之事故致方無之御事ニ奉存候、右絵図面外ニ巨細之判本一
冊被下置、難有拝見仕候処、只々仰天罷在候(後略)
十二月五日 両人
四人当
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1407
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 北海道
市区町村 伊達【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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