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項目 内容
ID J1500080
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔乙安政二卯年十一月十三日江戸地震の模様申越書状 写〕林家文書北海道立図書館
本文
[未校訂]重き方へ江戸表より到来御状写し
又写し左に
有馬様五百人余蛎沢様酒井様四五百人余会津様殿様始メ五百
人余死小出殿様始メ同様阿部伊勢守様奥様始メ他人数死――(ママ)
酒井雅楽守様の姫君十五六歳斗りの御方二日之夜明て越後屋
軒下に居り御夫婦無別条麻布御屋鋪へ供四五人にて立退候家中
多分死――南部様御屋舗三ケ所大痛津軽殿様半死家来六拾人
余死――御大名斗り拾八本御旗本大名奥方姫君方は筆紙難尽
上野広小路松坂屋大つぶれ焼失手代下男ども多分死同六日之
焼死斗り車にて三つ程付ケ出し回向院へ参り候もの百八拾年
以前は拾万八千人程も有之候由大目付町奉行届ケ候分寺社町
奉行扱の分合て拾六万余と承り吉原并所々(ニ欠)而深更に及男女土
勢の呼声聞人恐怖致し別年なれば拾年目位にて焼失到候得共
十日位にて仮宅出来当年未タ出来不申 浅草観音無別条雷な
り門大痛五重の塔の上糸長く志れかね相見へ候得共弓の程に
まかり申候二日の地震毎々黒雲一時に吹渡り是は通りものと
老 三四日頃は酒喰もの一切売買なし 公儀様三四日御用留
メに候米此節は両に三斗五六升莚一反一匁五分苫壱枚三匁五
分檜皮両に五拾枚わらんじ壱足六拾四文諸職人仕事師一日壱
貫弐百文仕舞帰り之節五拾文ツゝの酒代遣し戸田様御屋舗大
痛大名衆国元下り勝手次等御暇願万石以下の御旗本并御家人
へ拾ケ年賦に御賃附金有之候
堀田備中守様 此度
御老中出頭被仰付
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1408
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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