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項目 内容
ID J1500043
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔中野区史〕S18・5・30東京市中野区役所
本文
[未校訂]わが中野方面は地盤も強固であり、火災等も無かつたであら
うし、家屋人畜の被害も甚だしきこともなかつたであらう。
しかし本郷村成願寺では諸堂が大破したと「末山記録」に記
してある。宝仙寺三重塔は無事であつた。が、青梅街道には
避難者の群がつづいたであらうし、各村内に縁故を頼つて来
た罹災者も幾許かの数に上つたであらう。
ここに特記すべきは、中野村はじめ十五箇村が支配役人衆岩
田、安藤、安福、秋山、伊藤の五家に各金壱両壱分宛を見舞
として贈つてゐることで、雑用ともそのために金八両壱分銀
十一匁三分七厘五毛を要した。この出金割合は、村高百石に
つき銀五匁三分壱厘壱毛余であつた。堀江文書一
また中野村からはこの月十五日に、素繩七百五十束、同三千
房、同弐千七百房、十七日に同じく一千七十五房、繩一千三
百房を浅草御蔵御普請方に納めてゐる。堀江文書一これまた災後
の同所普請用に使用されたのであることはいふまでもあるま
い。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-2
ページ 1355
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 東京
市区町村 中野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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