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項目 内容
ID J1400046
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔大なゐの記〕「歴史読本」S55・9・10 新人物往来社荻野三七彦家文書
本文
[未校訂]大なゐの記
あはれ安政二の神無月二日の夜の大なゐは、さき〳〵聞もお
よはさりし事なれ。後に語りあひてこそとありし、かく有し
ともいへ其時はたゝ夢のやうにて人も我もうつし心なかり
き。聞伝ふる人いふかひなく思ふへけれと、さらにたけき、
よはき、老たる、若きのけちめもあらさりしそ、おもひ出て
も身の毛よたつわさ成ける。さて其日はおのれも物へまうつ
る日なりしにあしたより曇りかちなれは雨には成なんと思
に、たえて空うち詠てこもりをりしを、後に考ふれは空のけ
しき雲のたゝすまひ只ならさりしは、さるへきさとし成つら
んを、何の心もつかて文読て有しに、亥の時すこし過るころ、
土の底に神の呼らんやうにてとろ〳〵となり出たり。こは何
事そ、さは大なゐなめりといふなとこそあれ、かたはらのと
もし火はゆり倒れて家のうち只とこやみと成たり。土瓦、は
しら、梁などおつる音おとろ〳〵しきに、我か人かのこゝち
なんしけり。すこし静りかたに成てそ、いく千万の人のさけ
ふ声、いつくともなく風のおとのやうにきこゆ。やゝありて
男ともあつまり火ともしなとして、たれはこゝに、かれはか
しこにかといひ〳〵て、死たるものゝ、ふたゝひよみかへり
たらんやふに、かたみに事なきをよろこひなとするは、ほと
〳〵嬉しなみたもこほしつへし。ぬりこめの土こと〳〵くさ
け落て、屋を破り、かつはりを折て、今まて向ひをりつる文
机つちの底にうつもれたり。いますこし立退かてあらましか
は、いかに成はつへき。をさなき[太良|た ろう]なるものは夢にやとふ
したるまゝみしろきもせて有つるとか。こは塗こめのかたは
らなりしか、是ひとつのみ、土おつるまてにあらさりしはい
かなる幸ならん。同しさまにくつれましかはとそゝろ寒きま
てなんおほえし。とはかり有て、俄にこゝかしこ赤くまひる
のやうに成ぬるは、火の事おこれるなめりと云さわくに、恐
る〳〵にかたむける棟にのほりて見渡せは、にしひかしみな
みきたすへて火のおこらさる所もなく、燃あかりたるをひと
つふたつとかそふれは、火の口すへて三十あまりむつなゝつ
そ有ける。なゐは夜と共にゆりやます。されと初のたひ(度)のお
とろ〳〵しきにはあらねと又いかならんとおもふに安き心も
なし。火はます〳〵焼ひろこりぬるに塗こめみなあはらきた
れは(注1)、ふよふ(不用)なり、打捨てはしらんにも、道橋とまりぬとき
けは、こゝとさして行へきところもなし、たゝ大路に立てみ
居てみつゝゆめこゝちにてこそ有しか。かくて地のうこき間
遠に、たちのほる烟もやゝしつかに成て、人も我も初ていき
出しこゝちせしは、東の空しらみ渡れるころなりけり。あゝ
此日いかなる日そや、さしも広き大城のもとに尺寸のむなし
き地もなく立つらねたる大廈高楼なゐの為にたをれ、火の為
にやかれ、あまつさへこの二のわさはひにかゝりて亡らせし
人民いく千万なるらん。後にたつねきけは、なゐのふりたる
は本所深川ことに甚しく、たをれさる家は一町か内ひとつ二
つには過す。浅草みのわ(三の輪)のあたり是につぐ。新大橋のたもと
より千住の原まて一里のなかはにも余りぬへき道屋の棟をつ
たはりて、人の徃(往)かひするなと誠に後のかたり草也。また小
川町みくるわ(御曲輪)内芝浜の渡り其外は大かた同しほと成とそ。御
城より西はあるか中にかろしといへるすら、ぬりこめの土お
ち傾かさる家もなし。火の災にかかりしところ〳〵(所々)先国の守
のみたち(御館)にては会津のとの、[忍|おし]のとの、佐賀のとの、姫路の
とのをはしめとして二十余宇、御はたもとゝいへるきはゝ数
へもつくすへからす。されは南は芝山下幸橋のうち、西は馬
場先八代すかし(須河岸)小川町、北は本郷池のはた下谷浅草千住に至
り、大川の東は本所深河の辺京橋鉄砲洲霊岸嶋まてすへては
三十余か所とかや、一夜のほとにこと〳〵く焦土となる。人
民の死せしを大かたにかそへしに、五万六千余人とそ、月日
へはくはしき事もきこえぬへし。ましてや諸侯のみたち(御館)みた
ちにて亡しは、そもいく千万なりけん。いつれの御やかたな
らん、なきからを俵てふ物に包み、車七八輛につみたるをひ
き出しは、乱たる世にも聞およはさりし事とも也。されは火
にこかれ水にたゝれ何ともわかぬなきからは、大路に積かさ
ねて肉の堤をなせり。親は子を失ひ、子はおやを尋まとひ、
あるは家の内こそりて皆しにうせたるなと、見聞につけて胸
つふるゝのみ也。いかてや静にしてうこきなきは、あらかね(注2)
の地の心なるに、其変にいたりては、人を亡し国を滅す。只
おそれても恐つへきは此わさはひ也けり。ことさらに哀なり
しとて人のかたりしは、老たる父の女の子ひとりもたるが、
此めの子父につゝきて出さまに落くる梁にしかれたり。とか
くなせとつよくよく(ママ)はさまれたれは、引出すへくもあらぬほ
と、火はやあたりまて燃きて、今はかくと見ゆるに、めの子い
きの下なから父をいさめて、かくて共にのかるへくもあらす、
たゝ打捨てとくはしり給へ、我身は死ぬへき時にこそとおも
ひ定なからも、いま燃かへる火のおそろしきに、顔をたにか
くさまほしと父の心いかなりけん、今思ひやるたになみたこ
ほれぬへし。せんすへなさに、手にもたる袋やうの物をその
子のかしらに打きせ、中なる銭にや何にや皆火の中になけ入
て、さらはといひて見かへり〳〵走りいてしとそ。又さかし
らはせぬもの也とて人の語しは、ある豪家のあるし、むかし
越後の国の大なゐの折、あなくらてふ物の内に入ていのち助
りたりしといふ事きゝ置けるか、かねてかまへや置けん、い
ち早く穴の中に飛入て、誰もこよ、かれもこよと、多かる妻
子のかきり皆よひいれて、かゝみ居しに、物たをれて蓋に成
たれはとみに這出へくもなきに、隣より火出てもえうつりた
り。従者とも皆にけうせて、次の日かへり来たりてさしのそ
けは、穴のうちに水や入ゐたりけん、火にこそやかれね青く
ふくたみて(注3)打重り死ゐたりとそ。是らは何のむくひにやいと
いとをし。火のけなきひとつやなとならましかは、けにかし
こきはかりことなめり。処によりて物の害をなすもさま〳〵
なるを、[琴柱|ことじ]ににかはす(注4)(膠)とかいへるあるしの心そはかなかり
ける。又あるやかたにとのゐせし青侍の右のかひなを柱には
さまれたるか、とかくすれとぬくへくもあらねは其まゝ打き
りて走り出しとなん。これらはさても玉のをはかりとゝめた
るへし。家にしかれ、烟にむせひて、たけきもののふはさし
ちかへたるも多かりしとそ。かかる中にも又にか〳〵しくお
かしき事あり。関宿(注5)のあき人(商人)の物しいれにとて出たるか、み
たり(三人)連にて宿とりてゐしに、かの日しも吉原なる何かし屋に
あそひて酒うちのみ、おのも〳〵ふしとに入たる時大なゐの
さわき出きにけり。その中のひとり家の下に成たれとからく
してのかれたり。宿はやけたりけれは、ひと日ふた日まてと、
連なりしをのこふたりは帰りもこす。さはかの時死たるなめ
りと思ひ定て、かの家の焼あとにたつね行て、こゝら多かる
なきからの中より、それかと思となるふたつ求いてゝ、骨に
なしてふるさとにもて帰てみれは、二人はこともなくて我う
への事いひをれり。こは夢ならん、また幽霊にやとあやしめ
と、さもあらさりけり。よく尋ぬれは、ふたりはいち早く窓
よりくゝり(潜)出たれと、余りのおそろしさに宿へは立もよらて
ひたすら走りて次の日家にかへりし也けり。されはこの残り
たる男をそ死たると思ひて、妻子と共になけきをりしとなり。
事なくてかへりしは、是もかれも幸なる物から、又をこかま
しくや有けんかし。かの拾ひたる骨は、いのちにかはりたる
ものなめりとて、寺におくりて厚く葬しとそ。かくとり〳〵
あわたゝしき中に、高きあたりの御かた〳〵は、家をも身を
もうちわすれて、幕府の御もとにはせあつまらせ給ふ中にも、
佐倉(注6)の城(領)しらせる君はわらくつ(注7)(藁沓)をたにめさす、身ひとつにし
てまゝのほり給ひしかは、余の御かた〳〵よりは、遙にせき(急)
たらせ給ひて御供にくははり給ひしとかや、かゝる折にこそ
人の心〳〵もあらはれぬへきわさ成けれ。又この時にのり
て、利をかく加へて、物の価たかくうりなとして、おほやけ
に召とられてひとや(獄)につなかるゝもあり。されはみまつりこ
といたらぬくまなく、三日といふあしたより、有司(注8)こゝかし
こにあかれて(別・散)、飯を人ことにたまひ、あるはひとまち二まち
にあまる屋をかた〳〵につくりて、家を失ひし民のよるへと
し給ふ。あまつさへ、かしこきおほせこと下りて、こん月の
二日には、さきの夜亡ひうせたる青人草(注9)のためにとて、寛永
増上のみてらを初め、こゝかしこの大寺にていみしきみのり(御法)
ともおこなはせ給ふとなん、誠にえうつくしみ枯骨におよふ
とか言けん、聖の御代のためし成へし。されは上のみこゝろ
を心として、町人といふか中にも、ことさらに富たるかきり
は、よね(米)こかね(黄金)のたくひをほとこして、十まち廿まちの外に
およほすもあり。おほやけ是をしもたゝに見すくしたまは
て、其心はへをほめさせ給ひて、白かね(銀)いくひらもたまはり
つるなと有となん。おのれかとち1(注0)はさるいかめしき事こそお
よはね、心のかきり人におくるにことかゝさりしも、うから(注11)
のうちに一人もあやまつことなく、さはかりの二つのわさは
ひをまぬかれて、夜は安く家の内にふし、笥にもる飯をくら
へは也と、ひたすら身の幸をよろこふのみ。
かみな(神無)月廿五日の夜 やまた(山田)の千尋
(原文に句読点をほどこし、仮名文字はすべて現行の字体に
統一した。()内の振り仮名、振り漢字は八幡真帆)
注(八幡真帆氏による)
⑴あはらきたれは 「あばく(褫)=崩壊する あばる(荒)
=荒れ崩れる あばら(荒)=家などの荒れているさま」
(『日本国語大辞典』)―これらと類似した意味か。「あは
らく」「あばらく」という語はない。
⑵あらかね 荒金、土にかかる枕詞。
⑶ふくたみて 「ふくだむ=乱れそそけてぼさぼさになる」
(『日本国語大辞典』)「フクダムはフクレ垂レタル意」(『和
訓栞』)「ふくだむ八[脹|フク]れ[回|タ]むノ義」(『大言海』)
⑷琴柱ににかわす 融通がきかないこと。
⑸関宿 千葉県西北端にある地名。利根川と江戸川の分流点
にあり、江戸時代には久世氏六万石の城下町で、利根川水
運の河港として繁栄した。
⑹佐倉 千葉県北部。十一万石佐倉藩堀田家。当時の藩主は
幕府老中堀田正睦。
⑺わらくつ 藁で編んで作った草履。わらじ。
⑻有司 官吏。官人。
⑼青人草人民。国民。人の多く生まれるのを草の茂るのに
たとえたもの。たみくさ。
⑽とち (どち)仲間。互いに仲間・同類であることを示す
語。
⑾うから 血族。親族。一族。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻2-1
ページ 578
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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