[未校訂]地震奇談禄
○小石川富坂町高七百石役西丸御留守居堀美濃守所用有て一
族戸崎町松平内記殿方え参り用事済て帰路大地震なる故美
濃守駕籠の中より声を[還|かけ]安全の地へ免るへしといふ御陸
尺共心得て免んとすれとも[動揺|とうよう]強くして駈る事能はず其間
に柳町常州屋といふ質屋の家土蔵共一時に崩れ倒れ美濃守
駕は微塵に潰れ主従共十八人即死内僅五人助命してやしき
へ馳帰りしとなん柳町ゟ屋敷迄道壱町余也
○又火事場見廻り役高五千石屋敷小石川御門外土井主計殿方
へ其夜来客有亥の刻に及ひ退散後当主小便に行んとする又
家士侍女等は酒器を片付んと立廻り居候内一時に震動して
屋敷中残りなく揺潰し□(ムシ)るが用人森田源兵衛なる者主人の
安危量りがたく奥の方へ馳行所に玄関南の方へ倒落即死す
其子源太郎此体を見候より大に[駭|おどろ]きなから進行て家根瓦材
木等を取除六人を引出しけれ共主計殿其外男女共即死夫よ
り中間を励し潰所よりすくひ出しけれ共主従都合十七人即
死九人大怪我其中三人は明の朝死申しよし
○寄合高三千五百石牛込揚場久世政吉殿は表長屋を残し屋敷
中惣崩れ当主居間に有て書を読居られけるが一室の内あ(アツ)と
さけふ声聞へけるより駈行見れははや妻女の居間は悉く潰
れ梁落妻女は腹を打破られたり此節臨月にして男子疵口よ
り出けれ共母子とも即死す夫より屋敷を改めさせけるに六
人即死怪我十一人有之偖又五日の夜予の友生田金吾用事有
て右屋敷の前を夜子刻頃に通りしか門前に子を抱たる女の
立居たるか其容躰怪し気なりし故同所居酒屋内田にて右の
はなしをするに亭主こたへて夫は幽霊にして見たる者多し
三日の夜より出るとかたりけるとなん
○御使番高千石小川町猿楽町大久保八郎左衛門殿十月二日用
事に付丸の内へ参られ同夜戌の刻帰宅夫より酒を呑居たる
が右大地震にて屋敷中潰れ当主即死家士九人死す同所池田
氏より出火にて此家も類焼し家来共大に周章主人の死骸を
引出し持出す間にはや火の子雨のことく家財一品も出さす
丸焼に成しとなん此時に大久保彦左衛門殿自筆の壱軸焼失
と承りぬ誠に残りおしき事也
○役寄合高千五百石右同所伏屋士之助殿此夜賀儀有之家士互
に酒を呑せ其身も相伏たる所俄の震動にて屋敷潰れ当主家
士共八人即死屋敷は残りなく焼失なり
○役寄合高三千五百石同所佐藤金之丞殿今日組頭用事に付彼
方へ参られ帰宅有て座敷へ入上下を解かんとする時大地震
にて屋敷崩れ落主従三人即死表長屋三人女部屋侍へやにて
六人即死中間へやより出火にて残らす焼失
○当時御老中十月五日迄平勤十万石西丸下堀田備中守殿小川
町在住の節地震にて屋敷悉く潰れ当主崩家の下にならる其
時陸尺伝蔵平右衛門といふ者両人駈来り家根瓦を取り除け
漸救ひ出したりまた[侯僅|こうわずか]に足を怪我致されけれ共其儘登
城有之尤此夜は御用召御内意故奥表共御用書物調にて灯火
炭火等も沢山に有之ゆへ直に出火となり当主留守中に屋敷
不残焼失事鎮て後右陸尺伝蔵平右衛門二百石宛被下無役の
者に被召出しとなん
○小川町定火消組屋敷当時御頭無之手明組也右組同心鳶人足
共三十八人即死怪我人百余人其上やしき不残類焼
○小普請支配高千九百石小川町一橋通り大久保筑前守殿今日
縁談の儀に付早川清吾殿入来示談済て次の間へ送り出る時
節忰主馬殿栄之丞殿もともに送り出引入んとする折柄一時
に住居潰れ父子三人即死家来男女九人即死也右早川氏は一
町余行て小川町所々の出火に帰路をふさがれ御堀端より牛
込へ帰られしとなり
○中奥御小姓高三百俵右同所大久保淡路守殿は家来嶋田喜内
といふ者孝行なる者に付金三両与へ養父方へ暇を遣し病気
を□し其身座敷へ入時地震にて屋敷不残潰れ当主即死家士
男女十一人即死其時右喜内途中より馳帰主人の安否を伺ん
とするに大騒乱の中故漸主人の居所を掘出しけるかはや死
して在したれとも近火なれは主人の死骸を抱へ市ケ谷まで
逃退又取て返し再ひ屋敷へ来り所々火を消したると也誠に
忠孝兼備たる人といふへきなり
○御側役高四千五百三十石小川町一橋通り石河美濃守殿家士
に鈴木新兵衛同忰新六両人地震を恐れす主人の居間へ駈付
るとて玄関にて押潰され即死其外家中三人外に男女五人死
す同所小山氏ゟ出火にて残らす屋敷類焼然るに当家焼跡ゟ
金銀の具多く灰の下より[搔|かき]出したるを見て悪徒共仮屋へ火
をかけ具を盗まんとせしよし然るに用人塚田石田等かたく
守りて一物をも失わず□しとなん
○小石川御門内伊予今治高三万五千石松平駿河守殿には今日
五人客来有て有馬日向侯池田右京侯残り酒宴有之同夜戌刻
帰宅当主壱人謡をうたひ居候処地震にて屋敷潰れ家士戸塚
助太夫小泉三郎右衛門駈着主人を救出す処に茶の間より出
火し家中不残焼失即死焼死共士分二十八人足軽中間五十余
人のよし
○一ツ橋外高五万石松平豊前守殿御玄関奥へ懸りて潰れると
いへとも当主幸に無異也家士中間合て九十六人女二十七人
乗馬十一疋死失怪我人百余人自火自焼なり
○小石川御門内高十二万石松平讃岐守殿当主無異家来三十三
人侍女二十九人即死怪我人百五十余人庭中にて三日の間野
宿いたしたりとなん
○大手前高十五万石酒井雅楽頭殿は潰れ間も無之奥台子間よ
り出火土蔵まて残り無焼失家来即死八十四人奥侍女百六十
三人死す怪我人数しれす
○御先手御鉄砲頭小川丁猿楽町高五百石小笠原平兵衛殿[御誂|あつらひ]
大筒の儀に付杉屋添之丞入来注文書相渡帰宅同時地震にて
玄関へ駈出ると客の間より一同に潰れ即死半井氏より出火
にて不残類焼家士十一人外に男女二十七人即死御預り御馬
二疋死す
○小石川御門外水戸様大破損 御上は御怪我無之若年寄某并
軍学師戸田正大夫家老格藤方誠之進其外家士百五十三人侍
女四十九人即死怪我人数不知
○御医師小川町一ツ橋通り高二百石佐藤道安殿は其日小石川
辺御旗本へ参られ帰宅間も無地震用人部屋より出火して潰
家に移り当主及妻子九人用人斉川某共皆潰焼死幸に逃るゝ
もの中間三人とかや依之去丑年子細有て家出し忰道祐帰宅
[迹|あと]相続有之右家にて上下十七人焼死同四日一時に葬送を出
す
○小普請高弐千五百石小川町田沼市左衛門殿右夫婦寝入候処
地震に駭き起出んとする時住居悉く潰れ夫婦共即死家士男
女廿五人死屋敷焼失
○役小普請組高百五十俵同所福山某此夜妾岩女と一室に有之
其妻忰十蔵と別室に臥居けるが地震の節伏て不知るや各其
儘潰家の中に死ける中間下女四人即死其上類焼あり其中に
て用人畑某は不思議に命助かりしとなり
○大番組頭高二百五十石小日向和田勝太郎殿地震におどろき
起出す処へ梁落背に負懸り右腕相折けるに剛気の人にて漸
梁其外を刎返し危難を脱たれ共今に其疵痛て絶(堪)難きよし聞
たり如此勇士は全快致させ度事にこそ
○大番組頭小日向斎藤三太夫殿忰三十郎事小川町辺見廻居候
処井上氏土蔵焼残有之候間彳見居内右焼残土蔵三十郎の頭
上へ落即死供致し候侍住田万蔵も相伏られけれ共幸に死を
脱かれ主人死骸を負帰りぬとなん
○役小十人組高二百俵小川町斎藤正作殿事用事有之小石川水
戸殿百軒長屋前立度(隆慶)橋東方熊谷冨次郎殿へ参候居右地震に
逢其家にて即死せしとなり尤当所は近辺七軒揺潰半町斗焼
失のよしなり
○寄合高七千七百十六石小日向蒔田左衛門殿は所用有之本郷
辺へ出駕也然る処右地震故大に駭き早々帰宅致されしが屋
敷不残潰れ表長屋のみ残り有之故供廻り者にさしづして奥
住居を早々掘穿ち見るに妻女潰家の下に成腹中折破れて目
も当られぬ容躰なりしとなん同じ家敷に住なからも当主は
出駕留守故一命助かりしもふしきの事也
○寄合医師小川町高五百石塙宗悦殿牛込辺御旗本ゟ急病人有
之迎来に付出駕の後地震故引帰しけるに早住居は残り無潰
れ近辺四方ゟ出火故家族を救ひ出す間もなく忰宗伯殿の死
骸を掘せしのみにて皆焼失に及ひけるなり家士三人女三人
即死のよし
○御腰物奉行根津高百五十石森伝右衛門殿御用に付て本阿弥
家へ使者を命し居候間地震にて奥の間潰れ当主并家士宮崎
平蔵即死玄関脇潰れ家士五人即死其外は無異なり
○御書院組小川町遠藤六左衛門殿二日夜屋敷内自身に見廻り
居候内地震にて奥殿崩れ頭上へ冠り六ケ所大疵を蒙りけれ
共直に遁れ出家来を励し諸品を出させ其家類焼有之といへ
とも諸記録なと失わすとなり是平生の心得よろしき人とお
もわれたり
○小普請小川町室賀録五郎殿は住居長屋物置迄一宇も不残潰
れたり然れ共家中上下馬犬猫に至る迄死たる者無之よし是
も又一つのふしきなり
○大御番百三十五石大岡□五郎殿十月朔日夜自ら居間へ小さ
き蟹二十斗出たるが蜘なりとおもひて追出せしに又翌二日
の夜も再ひ出る故侍女に焰を照させ見るに蟹なる故捕へん
とするに何処へか逃し候其後地震にて即死其外三人死せし
よし迹にて考ふるに全前兆なりしならんとて
○役両御番小川町三百俵冨永吉太郎殿用事に付同所伏屋新助
方へ参り相談中大地震故大に駭き早々立帰り然る処糟谷周
防守姉はや女は右吉太郎養母にて其娘やの女といふを連て
庭へ逃たるが南の方ゟ奥住居倒れ東方ゟ土蔵倒れ右母子共
其処に打敷れたり当主其由を聞土蔵取除見れは母子共手を
互に抱合即死也翌三日夜より庭中火二つもへ深夜に及ひて
は亡霊形を願はゝ或ひは悲泣の声不絶なと風聞あり
○御目付二千五百石本所二ツ目頭木田助左衛門殿二日夜調物
ありて一室に有之大地震にて玄関より客間迄潰たる故侍四
郎治を以用人を呼しむるに帰り来たる故自身も又出懸候処
土蔵壁崩落て用人即死四郎治は途中客間の梁の下に即死外
に給人伊東源兵衛并家士男女五人死屋敷残りなく焼失なり
○大番組頭小石川すわ丁高五百石柳瀬正左衛門殿二日夜寝所
にて夫婦共即死家来清水平五郎主人の安否を伺んと部屋ゟ
駈来る中の間にて足を打敷六寸斗り延て即死なり外に四人
男女即死のよし
○本所五ツ目柳原式部大輔殿下部屋にては施行有之由と承り
たりとて五十余人程徒党致し参りける故大沢某外六人立出
左様の儀無之由相断といへとも不聞入終に彼七人を打倒し
米倉へ行米六十俵余奪ひ取行衛不知逃失けるとなん依之以
後門内へ鉄砲を〓(カ)り厳重に成し後右乱妨の者も不来なりし
となり
○御留守居本所二ツ目高五千石関播磨守殿二日夜家士弓の稽
古を見居たる所地震故北の方土蔵揺崩即死家士二人即死然
る処近辺火災故用人某漸主人の骸を掘出し立退けるが幸に
して火災は脱れたり十一人怪我人ありとか
○大番頭本所二ツ目逸見甲斐守殿今辰年御番に付誂物有之具
足師明珍某其外示談相済各帰宅後其身休息せんとする時地
震にて庭中へ走出る途中西方の土蔵倒落て即死奥住居西の
方長屋一棟潰れ七人即死十九人怪我人有
○本所きく川丁高二千五百石野一色外記殿娘八尾女といへる
は今年十八才当世の佳人にて又能書なるか此夜一室の内に
て梁に敷れ即死せしとなり
○西丸下御馬屋御頭諏訪部氏は当夜地震の節一と先庭へ立出
しか風ふと心付何やら大切なる物取落したる様子にて住居を
見返るにいまた潰れさる故立戻り居間へ這入と其儘家倒て
即死のよし其外組下にも両三人即死有しとなん
○丸の内弐侯の藩中二日の夜泊番を日役に頼みけるが右大地
震殊に出火にて頼まれる同役者焼死頼み 人の命恙なく然
るに彼の番を頼れて死したる人の妻女悲嘆の余り彼助命し
た同役の宅へ来り[操|くり]返し〳〵うらみを申泣ける故頼みたる
人も持て余し風(ふ)と気分替り扨々是非も無次第なり其申分を
致さんといふより早々脇指を抜き切腹なして果けりとなり
其時に彼うらみを言たる妻女も本心に立帰是は申分もなき
次第夫まてには及ざりし也と気の毒さに取のぼせて又其刃
物に取付て自身[咽|のど]を貫ぬきしとなり一人のみか三人を其事
に付て落命するも前世の因縁ならんと皆人舌を巻けりとゐ
う地震奇談録より