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項目 内容
ID J1300165
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕⇨津波あり
書名 〔安田村発展史 下〕○島根県美濃郡
本文
[未校訂]一 浜田地震
物故した古老の記憶によって得た結果を左に図示する事と
した。
被害高 焼失家屋 11戸
倒潰家屋 26戸
焼死{女大人 2人女小人 2人
圧死{男大人 2人 女 2人男小人 1人
1 村内地震の模様
明治五年二月六日、突如石見国一円にかけて、大地が震
ふた。『島根県既往の災害』に拠ると、
『此日午後五時頃、那賀・邑智・邇摩・安濃・美濃の五郡、
及び出雲簸川郡に渉りて地大に震ひ、四千七百六十一棟
の家屋を潰破し、五百五十二人の人命を亡ぼし、御倉百
廿八棟、土蔵四百十九棟を顚倒焼失、又は破損せしもあ
り。中にも那賀郡浜田町の災害最も甚しく、倒潰家屋全
体に於て、百分の三十四の多きにより、且其沿海の地域、
或は陥落、或は隆起、著るしき段違を生じたり。』
とある。
 此の日は大変な雪が、安田村辺には積つて、寒気が甚し
かつた。夕食頃突然北西の方向に当つて、一大音響と共に
大震動を盪り起した。急激な震動のために、屋内に居たも
のは、俄に海岸或は広場へ飛出した。当村に於ける地震は、
浜田の様に家も壊れないし、負傷者一人も無いし、畜類に
も災害は無かつた。只災害としては、津田郷社八幡宮鳥居
前の津田川に架してある、長さ五間幅四尺の土橋が崩壊し、
福井の辺からは地割がして、地下水が湧出した。其他川尻
に大きな地割を生じた。そして小さい其他の地割は到る所
に生じた。浜津田に於ては、一同震後、後小路の者どもは
部屋の背後の浜へ蓆を敷いて避難し、夜になると蒲団を持
出して敷いた儘寝た。又原辺では、福増屋島田武右衛門の
部屋(今大石酒場の屋敷内となる)の空地や、桝木屋の前
の広い畠及び浜に一時避難した。そして、翌七日からは桝
木屋前の空地に各避難小屋を急造して、一同三十日迄避難
したが、地震の憂は絶体にないと確信がついたので、各自
家に帰つた。又一部の者共は、津波の襲来を怖れ、日ケ迫
の山に避難して一晩を其処で過したものもある。
 こゝに、上津田専龍寺では、突如として起る大震盪に、
本堂庫裡も覆さんばかりであつた。師僧前田一念を初め、
前住覚念・祖母菊枝・母初枝・妻桃枝・長男得念・三男実
行・従兄弟喜志等一族九人の者共は、皆外に走り出たが、
弟子僧霊瑞のみは単身本堂に躍り込み、宝物並に重要品を
風呂敷に包み、本堂の椽側まで搬出、板椽に据ゑ置いた儘
堂外に飛出したが、再び起る激動に本堂の破壊を怖れ、彼
は遂に意を決して椽側に上り、宝物の包を更に広庭に持ち
出で、銀杏の木に括り下げた所、震動の為め包物は木にう
ちあたつて、から〳〵と音を立てゝ鳴つたと云ふ。津田村
後浜児玉ヨリは、峠山へ水汲みに出掛けたが、突然の地震
に怖れを抱き、途中から引返し原川の水を汲んだが、其時
川水は赤泥に濁つて居たと云ふ。
 遠田宝珠庵福原広治・新屋福原政右衛門等は、此日彌谷
大ヅゝミの胴樋を改め換へるために、盛に工事に従事中、
俄の大地震に見舞はれ、一時は仰天したが直に職業意識を
とり返し、各自割木を一荷宛荷ひ、倉皇帰途に就いたが、
入江家の前で第二次のゆり戻しに遭ひ、あわてた余り帰途
を忘れて、再びもとの彌谷に帰つたと云ふ。
 かくて宝珠庵の辺では、其晩は近所の畠に道板を敷いて
徹夜した。又遠田龍田のツゝミは、野上彌三右衛門の言に
拠ると、震動の為めに水を左右に大きく盪り動かし、池中
の鮒が水中から土手の上にはね上げられたと云ふ。上遠田
桑の木田原勘治の家は、震盪のため地幅が一尺位上下動し
て、地幅の下を潜り抜けられる位だつた。又後浜児玉金治
の談に拠ると、彼は其当時幼児で、他の子供と津田後浜の
前で鬼袋をして遊んで居たが、俄に襲来した地震に驚き、
大谷徳兵衛の椽柱に獅嚙みついた儘一同途方に暮れて泣い
て居た所へ、中屋の老婆が来り、皆の者は浜へ逃げたのに
何故其処にぐづ〳〵して居るかと促されて、始めて浜に避
難したと云ふ。此日牛や犬が異様な泣声を震はしたと云ふ。
2 郡内地震の模様
 其他近郷益田では瀧蔵山の山壁が崩れ、益田宗兼夫妻の
墓を埋没させ、吉田村では、専福寺番所の屋根庇が落ち、
高津村北西岸の砂は三尺位陥没した。
 道川村では幅四十間長さ百二十間、及幅四十間に長さ六
十間もある、二個所の陥没を生じ、匹見下村では、高さ五
十間・長さ二町・及高さ八十間・長さ二十五間の陥没を、
二個所生じた。又二川村では全潰戸数七戸、高津村では同
様の物二戸に及んで居る。そして尚地震と同時に、当村及
び鎌手村沿岸及高島は、増潮三、四尺に達した。
『二条村誌』に拠ると、
当地方ニテモ地震脈に当ル処ハ、西ヨリ東ニ流レテ地割
トナリ、震動ノ度毎ニバラバラト、四五寸位ノ割口ヲ開
閉シ、又地スべリノ処モアリ。墓石ノ如キモ悉皆倒レ、
家屋倒壊僅少ナレドモ、人心兢々タリ。大震動ハ日中ヨ
リ始リ、同夜カラ翌朝迄ハ強震動止マズ、殆ド強震続キ
ニテ、村民ハ所々ノ氏神社頭ニ集リ、祈願ノ通夜ヲナシ、
種々避難ノ協議等ヲナセシガ、次第ニ震動緩カトナリシ
モ、当分ノ内ハ震動止マズ、時々微動アリタリ。
震動ハ次第ニ強クナリ、高津地方ヨリ家屋ノ倒壊スルモ
ノ、又ハ傾斜スルモノ多ク云々。
とあり、『東仙道村郷土誌』に拠ると、
『大地震アリ。其内六日最モ強震、大小震動数日ニ渉リテ
止マズ、為メニ人々業ニ就ク能ハズ、処々ニ掛小屋ヲ設
ケ、老弱寄々集合セシメテ、避難シタル有様、本村内此
震災ニ罹リ、家屋潰倒数多有之シト。』
とあるが、浜田測候所発行の『浜田地震』には、到壊家屋
に就いては載つて居ない。美濃郡中での、之に記載されて
居る全潰戸数は、二川村の七戸と、高津村の二戸のみであ
る。恐らく倒潰位のものであらう。
3 震災救恤
震災後当村は左の文書に接した。
今般地震ニ而、浜田県内始市中震火災ニ而、当分仮小屋
御取立相成候積之処、藁莚縄菰差支之趣ニ而、捕亡(防カ)壱人
御差向ニ相成、貴村々へ過(ママ リ諸事方ニオヨビ、其他ノ心
得共差懸リ急要之儀ニ付、早々取集メ方世話致シ、浜田
表へ廻漕可被取計、右此段相達候也
壬申二月九日 美濃郡役所
津田・土田・宇治・西平原・岡見
右村々庄屋
同日重ねて美濃郡役所からは、次の通達があつた。
一昨六日夕ヨリ稀成地震有之候ニ付、潰家等有之、村々
死亡怪我人等有之候ハゞ取調、至急無滞此廻達順達可被
致、此段相達候也
壬申二月九日 美濃郡役所
元益田組村々庄屋
 震災後当村は、右の通牒に接すると同時に、郡差向の捕
亡(防カ)(今の巡査)の勧説に依り、災害地の救済として、応急
品を二月十三日浜田へ発送した。当時救済掛へ届出た品目
及数量は、左記の通りである。

一菰 三百八枚 但三拾壱丸
一藁 八百把 但拾把宛八拾丸
一縄 弐千八百尋 但弐百尋宛拾四束
一莚 拾枚
一大根漬 三丁 但四斗入桶弐拾弐挺二
斗桶壱挺
一梅 漬 壱丁 但壱斗入桶
〆右之通リ正ニ請取候事
壬申二月十三日
救済掛㊞
津田村役人

一菰 三百二十七束
一縄 五千尋
一藁 千弐百把
一大根漬 八俵
一干 梅 一俵
右之通正ニ請取候也
壬申二月
救済掛
遠田村庄屋 矢富彦一郎殿
 其他彦一郎政直は献納金として、遠田浦一円、津田浦一
円五十銭、大浜浦一円五十銭、計四円を同年九月に至つて、
旧浦大年寄大賀忠太郎を通じて差出してをる。此時西平原
村九円、宇治村四円を献納して居る。
4 御賑恤
 二月十日美濃郡役所からは、左記の理由で震災取調方を
命じた。
此度凶変御届トシテ、至急権参事上京ニ付、震災破摧之
形状取調候様、指図有之候別紙雛形之通取調、来ル十三
日中ニ、当役所へ有無共可届出候事
壬申二月十日 美濃郡役所
遠田村・津田村・木部村御中
 震災直後六月に至り、時の県令佐藤信寛は馬関行在所に
召出され、御下問の栄誉に預り、帰県後口達として県下一
般人民に示した。
佐藤本県々令口達覚
今度中西国 御巡幸ニ付県令佐藤信寛事、馬関行在所へ
被召出、当春管下震災之状態、親シク被為聞召度トノ敕
命ニ付、震炎ニ罹リシ家屋焼潰田畠ノ壊崩人畜ノ死傷、
及庶民ノ難渋等逐一及言上候処、忝クモ侍従長ヲ以テ、
別紙写ノ如ク御口達書、並金参千円御下ゲ相成、就テハ
右御金ノ内目録ノ通リ、其村々災ニ罹リ候者共へ、為致
頂戴候条、震災ノ軽重難渋ノ厚薄相当割合分賦可致候、
実ニ斯ノ如キ聖恩ノ難有キト、御一新御政体ヲ奉認シ、
銘々其業ヲ勉励シ、隆恩万分ノ一ヲモ奉報候様、村内普
ク可告示事
壬申七月
口達覚
管下人民、当春未曾有之震災ニ罹リ、不愍之事ニ付思召
ヲ以テ、極難渋ノ者へ別紙目録ノ通、下賜候事
壬申六月十一日
別紙御目録
金参千円
右之通馬関
行在所ニ於テ、正六位佐藤権令へ、侍従長ヲ以テ御渡
相成候事
かくて此御救助金は、各罹災村へ比率に応じて配布せられ、
各罹災者に賑恤された。
 東仙道村では、三朱のもの四名、二朱の者一名、一歩の
もの一名、都合六名のものが救助された。当村には、救助
者の記録が残つて居ない。恐らく災害軽微のために、救助
に預らなかつたものと思はれる。
 明治七年九月廿八日に至り、庄屋矢富彦一郎政直は、浜
田地震の際金拾円を、管下救助の内へ献納した為に、賞与
として桐章木盃一箇を頂戴した。
出典 新収日本地震史料 第5巻 別巻1
ページ 298
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
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