[未校訂] 寺崎町の地震 これも渥美家の記録にあるもので、寺
崎町内だけの状況が記されている。
万延二年(文久元年)九月十七日の夜九つ時(今の十
二時)大地震があつて、家屋のつぶれたものが多数あつ
た。人々は裸で戸外にとび出して避難したが、渥美家の
表店もつぶれたというから、余程の強震であつた事が想
像される。大丸屋は今の若山誠一郎氏の先々代で造り酒
屋であつたが、表店は土蔵造りで堅固に出来ていたから
潰れなかつたが、店にあつた酒樽が倒れ、或は栓がぬけ
たので店中酒ひたしになつたと書いてある。又この村に
は死人が出なかつたが、鹿又村ではつぶれた家が多数あ
つて、圧死者が四人あつたと記されている。
地震と天気 次に地震と天気の関係に就て民間には昔
から言伝の歌がある。これは科学的に見たら論拠がある
かないかわからないが、参考の為に記載して置く。
九はやまい、五七の雨に、四つひでり、六つ八つ地
震、風となるらむ。
この数字は昔の時刻を示したもので、一定の時刻に鐘
を打つて時報としたのに起つたものである。