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項目 内容
ID J1203932
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1861/10/21
和暦 文久元年九月十八日
綱文 文久元年九月十八日(一八六一・一〇・二一)〔陸前〕北海道・津軽~信越⇨十二月二十六日相馬
書名 〔(宮城県)中津山村誌〕
本文
[未校訂] 寺崎町の地震 これも渥美家の記録にあるもので、寺
崎町内だけの状況が記されている。
 万延二年(文久元年)九月十七日の夜九つ時(今の十
二時)大地震があつて、家屋のつぶれたものが多数あつ
た。人々は裸で戸外にとび出して避難したが、渥美家の
表店もつぶれたというから、余程の強震であつた事が想
像される。大丸屋は今の若山誠一郎氏の先々代で造り酒
屋であつたが、表店は土蔵造りで堅固に出来ていたから
潰れなかつたが、店にあつた酒樽が倒れ、或は栓がぬけ
たので店中酒ひたしになつたと書いてある。又この村に
は死人が出なかつたが、鹿又村ではつぶれた家が多数あ
つて、圧死者が四人あつたと記されている。
 地震と天気 次に地震と天気の関係に就て民間には昔
から言伝の歌がある。これは科学的に見たら論拠がある
かないかわからないが、参考の為に記載して置く。
九はやまい、五七の雨に、四つひでり、六つ八つ地
震、風となるらむ。
 この数字は昔の時刻を示したもので、一定の時刻に鐘
を打つて時報としたのに起つたものである。
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 456
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮城
市区町村 中津山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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