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項目 内容
ID J1202360
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1856/11/04
和暦 安政三年十月七日
綱文 安政三年十月七日(一八五六・一一・四)〔江戸〕甲斐・関東・越後・信濃・駿河
書名 〔藤岡屋日記 六十〕○江戸
本文
[未校訂]一今(十月七日)朝晴天の処朝五ツ時大地震にて天水桶の水をゆりこ
ぼすなり
飯田町九段坂下寄合
五千七百石 水野監物
右監物屋敷内三棟の長屋普請有之未た瓦廿五枚程つゝ
積重て有之処右地震にて家中男女子供逃出し候処右瓦
落て廿三人程余程の怪我致し候由
上野御成道山城屋又三郎裏店
瓦屋久蔵
仕立屋新兵衛
右地震に付喧嘩一件
是は八月廿五日大嵐の朝瓦屋久蔵上野坊中へ仕事に参り
候処に今日はた・ならぬ雲合にて夜分は必内(ママ)に居られぬ
程の大変有べしと云咄しを承り帰りて女房に申候は今宵
は大変可有之との事故此こわれ家には寝られまじ其方は
外へ泊りに行へし我は留守居可致若事のなき時は悪敷候
間近所へ知らせす壱人にて行べしと申付候処に此女おし
やべりにて右一件を長屋中へ触ちらし候間皆々肝を潰し
て長屋内煙草入屋は平家故是へ集りて酒を呑蕎麦喰夜を
明し右風難を遁れ候よし然る処今朝の地震て長屋中肝を
潰居候処に又夜四ツ半時に震返し大地震致候由瓦や申候
由にて風吹寒き夜に十二軒の長屋□具案一軒寝にかしに
致十一軒の者原広小路へ萱菰張にて野宿致し漸々夜を明
し帰り見る処瓦屋壱人は内にぬくぬく寝て居候故皆々立
腹致候中にも仕立やは無放(ママ)者故十日夜瓦屋近辺へ出候を
横町に待伏致瓦にて天窓を打割大喧嘩に相成十二日夜長
屋中還り中直り致し候
大風そ当れそこなひ寝震返し
野宿の跡で落る瓦や
出典 新収日本地震史料 第5巻
ページ 259
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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