[未校訂]文政十一子十一月十二日
三条大地震。
朝五ツ時(八時)、戌亥子(西北)方より入くる地震の音は、鉄炮・大筒・
底雷(ママ)歟。家内驚、走出んとするに、三条町中不残潰れ、
双方より一度に大火と相成、皆焼来り、人の焼死事数し
れず、けが人も数不知。譬申ハ、十人の者は四 ト(ママ・分カ) 通
死、四 ト(ママ・分カ) 通けが人、二 ト(ママ・分カ) 通無事。
是に続ひて今町・見附七 ト(ママ・分カ) 通ハ潰れ、大火ニ相成、
焼死・けが人多し。
在村々家倒れ、ころぶと思バ、又、起返り、川がおんま
かりて、魚が田中江、畑江揚り、酒屋大桶おんまかりて、
酒の流事川のごとく、在の村々此辺などハ、外ニ小屋懸
ケ、昼夜住居、凡日数ハ十二日ゟ同廿八日まで、誠に人々
生(いきた)心ちハなかりける。
在壱村でハ五拾七軒潰、本大嶋金五右衛門家潰れ、中ニ
老母とかゝ(嬶)さした(下)ニ成、村中鳴たて、人多寄、出す。新
町長九郎・庄六・小助・六内家潰れ、此外にかしがり(傾がり)家
多く有。