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項目 内容
ID J1100059
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1792/05/21
和暦 寛政四年四月一日
綱文 寛政四年四月一日(一七九二・五・二一)〔島原・肥後〕
書名 〔大牟田市史 上〕○福岡県
本文
[未校訂]寛政四年雲仙岳潰崩の事
 今を距る九十九年(明治二十三年。早米来略史起草の
時より)前、島原地大ひに熱し、大地震三十余日に至り、
ついに四月一日。海水大ひに溢れ、有明の海岸に溺死す
る者五万人と云う。
 早米来は幸にして、四つ山村南を支え、一人の死傷も
なし。海潮は鴨牟田水路まで押上げたるのみ。翌くれば
四月二日、早馬を飛ばし、諸人の往来、肥後沿海の注進、
櫛の歯をひくが如し。人民驚顎、魂を飛ばす。庄屋、組
頭はこれが百方周旋して、俄に堺山に仮小屋を作り、家
財、兵糧を運上し、山頭立錘の地なく、凜々としてあた
かも一軍の陣営を見るが如し。のち三日を経て戸主は家
に在り、老人婦女子は山上に屯す。十余日にして家に帰
ると云ふ。老人の夜噺しを聞くがまま。
出典 新収日本地震史料 第4巻 別巻
ページ 291
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福岡
市区町村 大牟田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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