[未校訂]天保四年は四月から五月にかけて水不足で田植に困り、
六月には大洪水に見舞われ、土用に入っても冷気が続き、
九月には寒波がおとずれて二十六日には大雪が降った。
加えて十月二十六日には大地震が起こり、海岸地帯は大
きな被害をこうむった。このため未曾有の大凶作となっ
たが、荘内では貞享三年(一六八六)以来のものといわれた。
つぎに天保年間の凶作の模様をうかがうために、小国村
の「天保三年、年々日控帳」を紹介しておこう。
十月廿六日八ツ頃大地しんより申候、尤空の景色ハ雨風
ふり申候、北南とより申候、仙内土蔵かた平間壁落申候、
神馬沢村作右衛門土蔵三ぼふの壁落申候、浜辺ニ而ハ尤
大津浪より来申候、岩川村ニ而ハ稲迚取レ申候、波渡小
波渡ニ而ハ猟船皆波ニ取れ申候、早田村ニ而ハ四拾軒余
つぶされ申候、湯の浜の湯治人湯坪ニ而七八人いきむ(う)め
されたり、浜温海村の町中ニ船うちあケられ、鼠ケ関の
弁天様ののしたて皆うちをとされ申候、御番所家山のき
ハつふされたり、辰年稲苅数ハ、千五百八拾束苅申候、
作徳米拾五表弐斗位也、餅米小米是外ニ四表ハ小岩川村
の御蔵米札買申候、直段ハ金壱両ト弐百文宛也、買入申
候、九月白米壱斗五升買入代弐貫四拾文也、十一月朔日
玄米弐斗五升代三貫三百七拾五文ニ買入申候、十月廿六
日大地しんゟ少々つゝ五十日計りより申候
村中の人足ニ而御役所の御扶持米田川御蔵ゟ四拾表外ニ
三拾表御上ゟ極窮之人へ売、田川村ゟ坂野下村迄の駄賃
壱表ニ付百文宛付、坂野下村ゟ村中之人足ニ而背申候、
肝煎元ニ而壱升ニ付百三拾五文売申候、四月ゟ熊の沢風
十二月迄吹通シ雪ふかさ町中三尺斗りあり、夏ニなり候
てもはい(え)虫一羽も出不申候、大豆壱升ニ付百弐十文、小
豆壱升ニ付弐百三拾文、伜金八年三十三歳也、峠ケのね
ばの沢山の峠ケのひらニ而、小峰所ニ而堀(ママ)得出申候、葛
の根の丸サ三尺斗の葛堀(ママ)得出申候、壱背ニ而粉七升斗り
有申候