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項目 内容
ID J1003036
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔温海町史 上〕○山形県
本文
[未校訂]天保四年は四月から五月にかけて水不足で田植に困り、
六月には大洪水に見舞われ、土用に入っても冷気が続き、
九月には寒波がおとずれて二十六日には大雪が降った。
加えて十月二十六日には大地震が起こり、海岸地帯は大
きな被害をこうむった。このため未曾有の大凶作となっ
たが、荘内では貞享三年(一六八六)以来のものといわれた。
つぎに天保年間の凶作の模様をうかがうために、小国村
の「天保三年、年々日控帳」を紹介しておこう。
十月廿六日八ツ頃大地しんより申候、尤空の景色ハ雨風
ふり申候、北南とより申候、仙内土蔵かた平間壁落申候、
神馬沢村作右衛門土蔵三ぼふの壁落申候、浜辺ニ而ハ尤
大津浪より来申候、岩川村ニ而ハ稲迚取レ申候、波渡小
波渡ニ而ハ猟船皆波ニ取れ申候、早田村ニ而ハ四拾軒余
つぶされ申候、湯の浜の湯治人湯坪ニ而七八人いきむ(う)め
されたり、浜温海村の町中ニ船うちあケられ、鼠ケ関の
弁天様ののしたて皆うちをとされ申候、御番所家山のき
ハつふされたり、辰年稲苅数ハ、千五百八拾束苅申候、
作徳米拾五表弐斗位也、餅米小米是外ニ四表ハ小岩川村
の御蔵米札買申候、直段ハ金壱両ト弐百文宛也、買入申
候、九月白米壱斗五升買入代弐貫四拾文也、十一月朔日
玄米弐斗五升代三貫三百七拾五文ニ買入申候、十月廿六
日大地しんゟ少々つゝ五十日計りより申候
村中の人足ニ而御役所の御扶持米田川御蔵ゟ四拾表外ニ
三拾表御上ゟ極窮之人へ売、田川村ゟ坂野下村迄の駄賃
壱表ニ付百文宛付、坂野下村ゟ村中之人足ニ而背申候、
肝煎元ニ而壱升ニ付百三拾五文売申候、四月ゟ熊の沢風
十二月迄吹通シ雪ふかさ町中三尺斗りあり、夏ニなり候
てもはい(え)虫一羽も出不申候、大豆壱升ニ付百弐十文、小
豆壱升ニ付弐百三拾文、伜金八年三十三歳也、峠ケのね
ばの沢山の峠ケのひらニ而、小峰所ニ而堀(ママ)得出申候、葛
の根の丸サ三尺斗の葛堀(ママ)得出申候、壱背ニ而粉七升斗り
有申候
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 671
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 温海【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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