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項目 内容
ID J1002540
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1830/08/19
和暦 文政十三年七月二日
綱文 天保元年七月二日(一八三〇・八・一九)〔京都〕
書名 〔御留守日記〕○兵庫県出石町
本文
[未校訂](文政十三年七月二日)
一夕七時頃強地震ニ付
大殿様御機嫌御障等茂不被為仕候哉一統ゟ御伺紙面御
小納戸迄差出
六日
一御郡奉行達
丹後竹野郡宮村
吉田勝馬
右当月三日京都ゟ罷帰候付当地江罷出去ル二日ゟ三日
迄京都大地震之旨申達候由
一御用人達
当月二日ゟ三日迄京都大地震ニ付星賀伝蔵江左之通申
付候由書付差出候ニ付写置
一昨二日申刻前ゟ京都大地震変事不軽義四方共当地
一体建家土蔵町之過半相倒レ候程之義其刻限厳敷
ゆり其後引続軽く候得共今朝迄ゆり通シ大変成事
御座候爰元
御屋敷大痛所御土蔵等土瓦等半分も落申候世上一
統如斯家々土蔵等も数多町中江倒レ居候分も有之
怪我人等も可有之趣誠以大変成義ニ御座候
吉田様等江茂未相伺申候歩行難相成一昨夜夜前昼
夜とも京都中居宅ヲ退町真中江畳を敷一統罷在候
程之事に御座候此段及御注進其御表之義弥増御案
申上候御様子承知仕度奉存候於□御所様も
昨夕ゟ追々諸御祈禱茂有之今以其御趣ニ御座候右
之段為御知旁申上度草々如此御座候 以上
七月四日朝 星賀伝蔵
御用人中様
一江戸表江差込便差立御用状壱封御用人江相渡丹後路一
日半道中六日限差立候様申談
但当月二日当地地震強京都大地震之趣も追々相聞候
処江戸表之義は当方抔ゟハ強可有之ニ付彼表様子
承知致し并
上々様江御機嫌伺旁ニ付差立候
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 562
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 兵庫
市区町村 出石【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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