[未校訂](巷街贅説 巻之二)
○今茲文政十三庚寅年七月二日申の刻頃、洛中大地震、
其夜明に至るまで二百八十余度、帝都を始堂上の館々、
神社仏閣民屋はさら也、或は震崩し或はゆり傾く、人々
東西に走り、南北に逃迷ふ、日を重ねて震やまず、洛中
皆家をはなれて、野宿に昼夜を送れり、死亡怪我人甚多
し、日を追て震の数減じ、十七八日頃迄五度七度は震へ
り、去々子年霜月越後の大震、今又洛中の大地震も珍事
なりかし
(中略)
○今年十二月十六日、天保と年号改元あり
改元の日ある人のいへらく、地震によりての改元に、天
のみたもちては、地はたもたざるやうなれば、此後も地
震は止まじ、弘賢こたへ候らく、天は地をおほふ故に、
天たもたば地もたもつべきなりとてよめる、
天地のたもつときけば君が代の
しづけかるべき年の名ぞかし
源弘賢
ことしからよくの皮をはらず、つらの皮を薄くして、儘
の皮にしたらば、天然の清福をたもたしむべし、
伊勢はやけ京は地しんで改元と
いひあてたるも天保の皮
おなじ
弘賢ぬしは屋代太郎とて、奥御右筆留物方にて能筆なり、
先つ年朝鮮国への御返翰を書し人なり、神田明神下に居
れり(後略)