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項目 内容
ID J1001483
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1812/12/07
和暦 文化九年十一月四日
綱文 文化九年十一月四日(一八一二・一二・七)〔江戸・神奈川・保土ケ谷〕⇨八日
書名 〔阿児町史〕○三重県
本文
[未校訂]一旭ケ丘社 字村口にある三社というとあるが「旭さす
夕日かがやくこの下に 黄金千枚小判千枚」といい伝
えられ、村郷が困窮したらここを掘るといいと云う。
どこの地区にもある伝説の丘であるところから、上村
塚と一連の円墳をさしているとも考えられる。「文化九
年十一月の大震の時に、上村塚の上の大石が転落し、
それを字村口の三社の前に立てて旧七月の二十四日に
は毎年祠祭を行う」とあるが、現在ではその行事はな
い。今はその巨石は志島墓地に建立されている。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 337
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 阿児【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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