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項目 内容
ID J1001007
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1804/07/10
和暦 文化元年六月四日
綱文 文化元年六月四日(一八〇四・七・一〇)〔羽前・羽後〕
書名 〔甲子夜話 四六〕○象潟
本文
[未校訂]〔四〕 奥の象潟は世に聞ゆる景勝にして、天下の三名所
と呼ばれし程の地なり。予若年の頃、同班なる六郷侯〔羽
州由利郡本庄城主〕と懇なりしが、或日彼邸を訪て西東
諸方の談話の中に、侯、象潟は我が領する所とて一双の
屛風を出し示されしに、彼地の勝景悉く両図に見へたり。
又傍臣の曰。其地の嶋々小大ありと雖ども、大なるは広
さ一町或は其余、小なるは十間或は其半ばなり。其嶋々
の間、海底総て沙上にして潮水の盈去あり。満汐のとき
と雖ども、人其中を歩するに潮その脛をこえず。故ゆゑ
に海中嶋上遊覧の男女殊に多しと。予因て其図を視るに、
彼地の景勝実にかの語言にまさるべし。且その後は鳥海
山高く聳へ、上下の賞望想を及ぼすべし。
(中略)
出羽の国にまかりて蚶潟といふ所にて読侍ける
能因法師
世の中はかくても経けりきさ潟の
海士の苫やを我宿にして
西行法師
きさがたのさくらは浪に埋もれて
花のうへこぐ蜑の釣舟
この後聞けば、鳥海山鳴動して自から火を発し、砂降り
泥涌出、象潟の山水皆これが為に[瘞|うずも]れ、潮水も変じて桑
田となる有様なりしと。近頃又一説を聞く。象潟の荒し
始めは後山の鳴動すること数日なりしを、彼地の市街に
ても何ごととも弁へず[徒|タダ]あきれてのみゐたるに、夜半過
ぐる頃[地震|ヂフルフ]こと度々、世の常の地震とは異に、踊るが若
く[沸|ワク]が若く、上下へ震ひけるが、頓て後山より泥砂を押
出したり。この地動十四日を経れば、里人も過半は他所
に逃れて死亡の者は七十余人に過ざりしと。是より鎮り
泥砂も収りたるに、彼絶景の山海は一面の荒野となり、
其中に一条の水流を現はせり。其水海浜なれどもいかに
も清冽甘味にして、天造の新墾田三万石ばかり出来ぬ。
逎この流川を幸として用水に当ると云。因て官稟は其実
を尽さずと。又此新田、この後開墾せば、又三万石も増
すべきかとぞ。かゝる天下の名勝絶景の地、永く泯滅せ
しは長嗟するに余りあれど、其領主の国益となり、其人
民の為にはいかなる幸ぞや。このことは或人其領邑の人
に親しく所聞也。
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 211
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 秋田
市区町村 象潟【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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