[未校訂]享和地震
とくに木野浦村に大きい影響を与えたのは、享和二年
(一八〇二)におきた小木地震であった。この地震によ
って今までわき水のあったところはとまってしまった
し、水路は地割れして水がとおりにくくなった。
文化七年八月、木野浦の百姓五兵衛、外一三人の者が
奉行所に二度目の願いを出した。それによると、地震後
水口がなくなってしまって、そのために稲のできが悪く、
欠損田地が多いので検分してもらいたいといっている。
これに対して奉行所は、期限が過ぎたから、というよう
な理由で検分をこばんでいるのである。
そしてこの年の一〇月、村は次のような願書を出した
のであった。
私共の村方は、享和の地震から貧窮におちこんで困っ
ておりましたところ、今年の春一寸した地震があって、
土地が下がりひびがいって水気がなくなり、植付はし
たのですが一向に実りません。これまでは、村の者は
暇を見付けては手仕事などをして、小木へ行って舟手
の者と交易して年貢納めの足しにしていたのですが、
このように作が悪く、手仕事をやる元手もなく、又田
畑も半分程は質地に出して借銭をしているような始末
です。そこでいろいろお願いをしたのですが聞き入れ
てもらえません。今御救米をお貸しいただかなくては、
暮していくことも出来ません