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項目 内容
ID J1000909
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1802/12/09
和暦 享和二年十一月十五日
綱文 享和二年十一月十五日(一八〇二・一二・九)〔佐渡・越後〕
書名 〔佐渡小木町史村の歴史 上〕
本文
[未校訂]享和地震
 とくに木野浦村に大きい影響を与えたのは、享和二年
(一八〇二)におきた小木地震であった。この地震によ
って今までわき水のあったところはとまってしまった
し、水路は地割れして水がとおりにくくなった。
 文化七年八月、木野浦の百姓五兵衛、外一三人の者が
奉行所に二度目の願いを出した。それによると、地震後
水口がなくなってしまって、そのために稲のできが悪く、
欠損田地が多いので検分してもらいたいといっている。
これに対して奉行所は、期限が過ぎたから、というよう
な理由で検分をこばんでいるのである。
 そしてこの年の一〇月、村は次のような願書を出した
のであった。
私共の村方は、享和の地震から貧窮におちこんで困っ
ておりましたところ、今年の春一寸した地震があって、
土地が下がりひびがいって水気がなくなり、植付はし
たのですが一向に実りません。これまでは、村の者は
暇を見付けては手仕事などをして、小木へ行って舟手
の者と交易して年貢納めの足しにしていたのですが、
このように作が悪く、手仕事をやる元手もなく、又田
畑も半分程は質地に出して借銭をしているような始末
です。そこでいろいろお願いをしたのですが聞き入れ
てもらえません。今御救米をお貸しいただかなくては、
暮していくことも出来ません
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 162
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 小木【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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