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項目 内容
ID J1000335
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1793/02/17
和暦 寛政五年一月七日
綱文 寛政五年正月七日(一七九三・二・一七)〔陸前・陸中・磐城・江戸〕奥羽・関東・甲府・御殿場⇨翌年十月
書名 〔古実伝書記〕
本文
[未校訂]○宮古伊香弥七蔵
一寛政五癸丑正月七日昼八ツ時大地震三度仕候て間タ少
し過候否川津波三四度参候て大ニさはき山ニ懸上り申
候得共藤原そけいニは浪よけいハ上ケ不申候宮古へも
上ケ不申川筋斗おし申候て一円そんじ無之候浦通ハ宮
古より浪おしよけいニ御座候得共一切痛無之候其後二
月中迄全日全夜小地震仕心支罷有申候宮古藤原抔ニ而
ハ山々ニ小屋相懸申候右小屋場所ハ船ケ洞小かくまん
へ相懸申候海ノ水すさまじく引候てそけいノ柏木立ノ
沖白禰ト申所あらはれ出申候川口ノ大禰もすかニあら
はれ出申候くわか崎浦すも浜沖ノ釜ノふた迄あらはれ
右之所迄塩引申候扨亦南程おひたゝ敷仙台領共ニ右同
様ニ御座候由段々聞書相印申候大槌領ノ内両石浦家八
拾三軒流人三拾四人男女子共ニ而死申候弁天堂有之候
所本堂無恙拝殿斗流申候右拝てんニ有之候神輿ハ流候
所田野浜沖ニ流右同村にて取上申由右両石浦之内ニ庵
有之候所是も流申候右庵主坊ほらさやニ参申ニ付いさ
い承書留申候右庵主坊相助り申事相尋候得ハ正月六日
近村之内ニ仏事有之参候て相勤七日ニ帰り申候所途中
ニて地しんニ合十方ニくれ居候所へ津浪ニ合山々道ノ
儘にげ参候ものニ合承おとろき入にけ助り申由ニ御座
候釜石浦ハ津浪ハ参候得共家々ニ水おしこみ申迄ニて
そんじ無之由仙台領之もの共ニ大槌御代官より森岡へ
被仰上候所早速為御救御代物壱貫文宛八拾三軒被下置
候由御蔵米も被下候由ニ候得共何程宛被下候哉相知レ
不申候卯のすまい御寺より壱軒へ白米三升宛被下候由
大槌町ひたちや両家より壱軒へ六百文宛被下候由釜石
浦佐野与治右衛門より一軒へ白米八升代物六百文宛被
下候由仙台聞書左之通綾里浦家七八拾軒流失気仙沼浦
三百軒余流失鮫浦拾軒程流失人馬不知其之外いつ嶋之
内所々痛御座候由聢と知不申候
出典 新収日本地震史料 第4巻
ページ 47
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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