Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J0900691
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔両郡古談〕○大分県
本文
[未校訂]一同年十月四日未ノ剋大地震、御城中弐百余ケ所破損、桜
馬場より下原御門迄之間大概崩さる所なし。鐘河内谷に
落候得共、鐘ハ損なし。但此節臼杵佐伯ニハ津浪上ル也。
御破損箇所弐百六十六ケ所御城中崩乱分弐百七ケ所破
損石垣六十一ケ所崩レ石垣四十七ケ所孕石垣十四ケ所
御城下破損五十九ケ所右絵図出来十月十二日江戸表へ
為御使者服部九左衛門出立但十月十三日ヨリ御家中ヨリ出入八百三十人但百石ニ付三人ヅツ持
合百三十三人高三万四千八百弐十石程江戸詰除役人ハ半役
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 587
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大分
市区町村 竹田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒