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項目 内容
ID J0900583
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔香美郡立田村誌〕○高知県▽
本文
[未校訂] 所謂ゐの大変である。(二三二年前)此年は立田村の被
害も相当大きく、上咥内の竹が端堤防もきれ東西の田地も
残らず損田となって長く免租になった様子である。此から
十一年後の享保三戌年以来の旧記中に「蔵福島、立田村御
普請誥(ママ)十五ケ年間御米四万石余の御積り場所」とあるを見
ても竹が端堤防復旧工事が如何大仕事で村民苦痛難渋の程
が察せられる。南路志に此時の大地震で種崎一村亡所とな
る、溺死者七百余人云々とあるも、立田村のことを記した
ものは見当らない、古老の伝へに宝永四年の地震は激震で
微震はなほ半年ばかりも絶えなかったと云ふことである。
又此時の海嘯は前浜と下島の海浜切戸を押切り西は琴平山
の東麓を浸し、猶ほ北流して立田徃還まで来たとのことで
ある。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 502
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 立田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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