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西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

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項目 内容
ID J0900571
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔村のことども〕○高知県▽
本文
[未校訂]一神母神社(貴船神社合殿、種崎)
 右勧請年暦不相知、但長曾我部氏時氏より以前之由伝、
又云慶長年中柏原市太夫造立之由縁有之候所、去る亥年大
変の節古堂共流失。
 南路志に云ふ、「いやはな神母宝永年丁亥十月六日大地
震種崎亡一草一木無残溺死七百四人、其中に此の神母神社
不思議に残れり、其時迄東に町有、本御畳瀬より漁場之通
に頂本寺有。今之町は大変後西へ引移り」と云へり。
十津の地の今昔
 彼の亥の年の大地震に桂浜の住民大津浪のために溺死し
死体塁々として十津中山附近に漂着す。それを南無妙の石
碑のある東方石灰納屋のある地に埋葬す。故に此の谷を人
谷といふ。その供養に高知の豪商川崎氏の南無妙法蓮華経
の碑石を立てたるものなり。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 494
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 高知【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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