[未校訂]表紙朱書
「此書中村十竹翁編輯スル処ニシテ且ツ自筆也珍重々々」
序ニ曰ク「今□天保八とせといふ年の蘭月六十九翁十竹道人述」
一恵公御代宝永四亥十月四日大地震ニ而御座候由両親咄承
候、何程之ゆりニ而候哉と尋候得共往来一足も引事なら
す丁々の土塀と土塀と大方打合程に覚候由、四日一日ニ
而止夫ゟ天水之さぶ〳〵こほれ候程の地震間もなくゆり
大方其年中不静候由、日之内に四十五六度ゆり候事も有
之十月中ハ小屋住居ニ而本家へ入候事ハ不相成候、土地
われて白キ水流れ出後ニハ鼠色成何共合点不行髭生候由
前代未聞之事の由、家中郷町共家破損ニ付御蔵を開御救
米銭被下候由両親物語ニ候
○十竹曰地震の事余詳なる事ハしらね共爰に記セる所実事
にて古今珍敷天変なり、或人の記に三月朔日地震、八月
十二日大雨降、同十九日大風、九月十九日大風雨、十月
三日晴天夜星不見、翌四日未の刻より大地震、地裂白水
湧出高潮来り平地之上深事六尺、御城下人家多破壊し人
馬死者多し、とあり、地大に震ふ前にハ地気はけしく上
騰して天気を[閉塞|ヘイソク]し[鳶烏|トヒカラス]其外諸鳥の空を飛事あたハす皆
石を投たる如く田野に墜るとなり、右に云晴天に星の見
へさると地気上りて天を覆へる故なりとなり五剣山一峰
崩れ墜たるも此日の事なり、扨彼かいへる如く其年中少
しつゝの地震続て漸十二月の中比に至て止ぬとなり珍敷
大変なり、其土地に生へたる髭のやうなる物にて小児輩
とりて翫ひと遣しよし合点のゆかぬものなりとなり