[未校訂] 宝永四年十月四日の大和、摂津其の他十有七ケ国に亘る
大地震あり、引続いて起れる大海嘯のために字南島の堤防
は悉く破壊し、字北島の堤防も又四十間余決潰せしかば、
新田全部激浪のさらふ所となり、いとも惨憺たる光景を呈
し、之がために耕地も家屋も悉く流失し、住民は素より地
主は多大の損害を被ることゝなれり。尚ほ当時の地震海嘯
に関しては記録の残れるもの多ければ、左に其の二三を記
さん
(白山氏所蔵の新田旧記)
西成郡津守新田字南島は高浪にて堤防不残押崩れ、北島
の堤防四十間余切込み、田地汐入となる、会所の人数並
に百性は財宝流失に頓着せず逃退しも、水死の人数多
し、新田一ケ所流失したり
等何れも当時の惨状を記せるものなり。以て略当時津守新
田が如何に惨害を被りしかを察知し得らるべし。されば之
がために新田の経営者たる横井、金屋の両人は、遂に之が
経営難に陥り新田の経営を大阪の人袴屋弥助に譲り渡す事
となれり。