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項目 内容
ID J0900431
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔津守村誌〕○大阪市西成区
本文
[未校訂] 宝永四年十月四日の大和、摂津其の他十有七ケ国に亘る
大地震あり、引続いて起れる大海嘯のために字南島の堤防
は悉く破壊し、字北島の堤防も又四十間余決潰せしかば、
新田全部激浪のさらふ所となり、いとも惨憺たる光景を呈
し、之がために耕地も家屋も悉く流失し、住民は素より地
主は多大の損害を被ることゝなれり。尚ほ当時の地震海嘯
に関しては記録の残れるもの多ければ、左に其の二三を記
さん
(白山氏所蔵の新田旧記)
西成郡津守新田字南島は高浪にて堤防不残押崩れ、北島
の堤防四十間余切込み、田地汐入となる、会所の人数並
に百性は財宝流失に頓着せず逃退しも、水死の人数多
し、新田一ケ所流失したり
等何れも当時の惨状を記せるものなり。以て略当時津守新
田が如何に惨害を被りしかを察知し得らるべし。されば之
がために新田の経営者たる横井、金屋の両人は、遂に之が
経営難に陥り新田の経営を大阪の人袴屋弥助に譲り渡す事
となれり。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 359
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 大阪
市区町村 津守【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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