[未校訂]元禄年間三郷町数家役数人口表
8年9月13年5月16年3月
町数町北239南241天71堂20堀―計57123624171203360123724190―33601
家数軒北6,256南7,508天2,638堂369堀―計16,7716,2387,5462,66837645117,2796,2547,5463,028―45117,279
役数役北7,882.066南8,620.250天3,033.289堂376.000堀―計19,911.6057,801.0668,678.5003,034.289376.000674.00020,503.8557,725.0668,476.5003,394.289―(674.000)20,269.855
無役数役北427.500南536.750天110.267堂20.000堀―計1,094.517428.000528.250108.26719.00041.0001,124.517
人口北南天堂計132,289154,04849,92113,446349,704
元禄八年九月同十三年五月の統計は大阪北組南
組天満水帳町数家数役数寄を帳により,元禄十六
年三月の統計は地方役手鑑による,北は北組,南
は南組,天は天満組,堂は堂島新地,堀は堀江新
地の略なり,役数は役の総数を示す。故に此中よ
り無役数を減じたる数を以て,家役を勤むるもの
と知るべし。
(大阪の津波)
新地の開発は換言すれば則ち市街の膨脹なり、延宝七年
三郷町数五百三十六町、元禄初年五百五十一町あり、堂島
安治川新地成るに及び、二十町を増し、堀江・幸町・富島・
古川新地成るに及び、旧町の内三町を減じ、三十三町を
増し、合計六百一町となり更に宝永年間曾根崎新地三町を
加へたり、されば役数・家数・人口の如き皆之に伴ひて増
加し、家数壱万七千軒、役数二万役を超え、人口は延宝七
年より元禄二年に至る十一年間に約二割を加へ、元禄二年
より同十二年に至る十一年間に更に一割を増し、市街日を
追ふて殷賑なりしが、宝永年間に至り俄然として二回の大
打撃を被りぬ。即ち四年十月四日午ノ下刻、大地震大海溢
あり、家屋千七百七十四軒を崩壊し、男女五百四十一人を
溺し、橋梁四十五ケ所を、墜落破損せしめ、破壊及行衛不
明の川船八百六十三艘廻船九十三艘に及び、甚しきは木津
川口碇泊の大船道頓堀川に突入し、日本橋に至れるものも
あり、××村の損害も亦少からず、津守新田の如きは堤防
決潰し、海水漫々たりしといふ。惨状知るべきのみ。而し
て如上の創痍の未だ癒えざるに方り、翌五年十二月廿九日
大火災あり、夜丑ノ刻道修町淀屋橋筋より出で、北は過書
町、東は鑓屋町、南は平野町に及び、町数六十五町家数千
五百一軒・竈数七千四百九十一軒を焼失し、翌夜丑ノ刻を
以て鎮火せり、芸州草津村(佐伯郡草津村大字草津)の蠣
船船頭五郎左衛門此大火に際し、高麗橋の制札を保護した
る功により、川々橋下にて蠣商売を営むを公許せられ、後
年大阪の一名物と成るに至れり、かく両年引続きて希有の
天災ありたるに係らず、翌宝永六年の人口三十八万千六百
余人を算するに至りては、被害の恢復の迅速なりしを想は
ずんばあるべからざるなり。(大阪北組南組天満水帳町数
役数寄せ帳、地方役手鑑、松平石見守殿御初入に付差出御
覚書、名なし草、摂陽奇観、年代著聞集、草津村蠣商売由
来、草津村蠣仲間(尚古)。
地方役手鑑所載元禄十六年の役数は、無役の分を除き、
家役を勤むる数のみを挙ぐと同書にあれども、三郷の役数
と総計との間に六百七十四役の差あること解し難し。水帳
町数家数役数寄せ帳に堀江新地六百七十四役の内四十一役
を無役とし、尚「役勤候義を翌十二己卯年より拾ケ年過候
而勤申候」とあれば勤役無役の差は全く名義上に止り、元
禄十六年に於て実際家役を勤めしは、総計二万二百六十九
役八分五厘五毛より六百七十四役を除ける数なりしなら
ん。
松平石見守殿御初入に付差出御覚書に、元禄二年三郷人
口三十三万二百四十四人、同十二年三十六万四千百五十四
人、宝永六年三十八万千六百廿六人とあり、但し、其内訳
を明にせざれども、人口を数ふるに通則として、城附町奉
行所附の吏員蔵屋敷の役員等、一切士分の者を加へず、時
として人口表の内訳に僧とあるは、両本願寺派以外の僧侶
を指し、三郷町中に入組める両本願寺派の僧侶は俗人中に
加算せらる。又××は前記の数字中に加算せるが如しと雖
も、之を加へざるを通例とす、御城代御支配所万覚に、元
禄五申九月改、町中人数合三十四万五千五百廿四人、男十
八万七千五百八十五人、内二百五十二人山伏、女十五万七
千七十四人、内九百四十一人傾城、又四百九十人禿、八百
六十五人僧、内廿三人妻帯八百四十人××とありて、××
は人口総計中に加らず、本表に掲ぐる人口総計は三郷及堀
江新地の男女の外、神社十ケ所六百四人、両本願寺派以外
の寺院二百二ケ寺千四百人を加へたるものなり、更に之を
男女に区分すれば、北組男七万四千百五十二人女五万八千
百三十七人、南組男八万三千七十三人女七万九百七十五人
天満組男二万六千四百八十八人女二万三千四百三十三人、
堀江新地男六千五百十九人女六千九百廿七人、神社男三百
十六人女二百八十八人、寺院僧八百五十(八脱カ)人、俗
五百六人、女三十六人にして合計男十九万千九百十二人女
十五万九千七百九十六人となる。