[未校訂](光行日次) 宝永四年
四日(十月)晴 奉幣御祈予勤之未上刻許地震騒動四拾六年以前寅
年五月朔日大地震□分一歟、社殿江見舞申一本宮東ノ石
燈炉一□社中西舞殿前東方三塚社ノ灯炉、貴布禰社灯炉
以上六基倒ル、橋殿ノ下石垣少崩ル、予禰宜代祐清伝
奏奉行へ上ノ御機嫌窺 宮頭無別条届旁ニ伺ひ申候、入
夜地震両三度
五日晴 日出前地震、奉幣御祈予勤之、
仙洞臨時御祈一七ケ日御撫物御祓上之蛤蜊一折副上ル、
按察殿へ外郎餅一折五竿遣、昨日就地震 禁裏御祈被
仰付予参社於神前御祈申、大典侍局御内平井ゟ文来如
左、使者増沢頼母紋ケシ、カタバミ時々地震
六日 霽 奉幣御祈予勤之光紹参社、地震少五六ト
七日 陰霽 奉幣御祈勤之
(中略)
今度大坂・堺・南都方面大地震、家橋等多顚倒人多死申
由伝聞、京都之地震ハ大坂之余リ也、後ニ聞伊勢・尾張
方面モ地震之由
八日 晴 予参社御祈念申、従公儀有御触
覚
普請ハ明八日ゟ鳴物ハ十日ゟと相触候へとも普請鳴物共今
日ゟ差免候間、洛中洛外へ可被知候也
亥十月七日
右之通相触候様ニ被仰付候間、如此ニ御座候
宝永四亥年十月七日 荻野七郎左衛門印
及晩荻野七郎左衛門ゟ切紙来、目付衆明九日鞍馬貴布禰
へ巡見ニ而候下鴨へも御立寄も可被成間可得其意由也、
社内掃除等申付従
仙洞地震ニ付十日ゟ一七ケ日御祈被仰附按察殿ゟ文来如
左使三宅伊織
大すけさま①より申せとて候
此四日地しんに付、御きたう(祈禱)仰出され候まゝ、こん日よ
り一七ケ日御きたう候へく候
御なて物、御たんれう銀壱枚めてたくつかわされ候
上様②山洞さま
③しんわうさま 宮さまかた
となたにも御きけん共よく御長久の御事ニて天下太平、
御殿御物しつかに萬ゝ□□めてたき御事のミとま
ゝ御きたう候へく候 めてたく かしく
①大典侍局、藤原賀子、櫛笥隆賀女
②東山天皇
③霊元上皇
一ふて申まいらせ候、去四日おひたゝしき地しんニてお
ハしまし候、御社つゝかなく候や、こなたにも御機嫌よ
く御かわりもおハしまし候ハす候まゝ、御心やすく候へ
く候、此度の地しんニ付、りんしの御きたう仰出され候
まゝ、此十日より一七ケ日御きたうハしめ候へく候、地
しんもはやくしつまり、天下太平ニてとなたにも御きけ
ん共よく、悪事、さいなんなく、御殿も御物しつかにお
ハしまし、いよ〳〵御きけんよくおハしまし候やうに、
よく〳〵御きたう候へく候、則御なて物御たんれう銀子
一枚被遣候まゝ、□□めてたくかしく
十月八日あせち
いてふ
大せん大夫とのへ
九日 霽 予参社御祈勤之、今暁地震巳下刻地震及三四度
(後略)
十日 陰霽 予参社 禁裏 仙洞御祈申、仙洞御所従今日
一七ケ日地震御祈禱勤之
十一日 朝之間陰雨、午上刻ゟ霽禁裏・仙洞御祈一七ケ日
満、御祓・御撫物献上御肴一折・鱧ニ副上ル(後略)
十二日 霽 御祈予参社勤之、時々地震
十三日 晴 予参社御祈執行申、時々地震 入夜少雨
十四日 夜時雨、霽 光紹参社御祈執行、時々地震
十五日 陰霽 予参社御祈執行申(後略)
十六日 霽 予参社御祈執行申一七ケ日満而御祓・御撫物
献上之御肴一折副上予光紹参
廿一日 晴 (中略)地震少
廿二日 晴 予参社午下刻少地震(後略)
廿三日 晴 今日伝 奏江光紹同道ニ而見舞申対顔候而御
申候ハ、此程上賀茂輩新補之事ニ付而参候、其節 伝奏
事外立服其子細ハ去四日地震之節下鴨ゟハ早々宮頭無別
義届参候、下鴨ハ乍無人も□(かカ)様ニ付届諸事ニ□□(入念カ)奇特千
万神妙ニ被存候、上賀茂多人数歴々□□(ムシ)其砌終ニ其沙汰
無之不届被存候、急度被仰之□□事外迷惑仕由御物語候
廿四日 晴 地震両度
廿七日 晴 地震少
廿八日 晴 地震少
八日(十一月)陰雨 入夜戌下刻地震