[未校訂]有田地方では広村などは当時千戸の家がたちまちにして流
失し(八割五分が流失したとある)、死者三百人、避難者
を載せた寺らの建物が沖合に流失したという。この後広村
も戸口急減して一小村となり、湯浅・栖原・田村・辰ケ浜
・北湊などいずれも多大の害を被り、人畜の死傷、家屋の
流失するものが多かった。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J0900396 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 | 〔有田市誌〕○和歌山県▽ |
本文 |
[未校訂]有田地方では広村などは当時千戸の家がたちまちにして流
失し(八割五分が流失したとある)、死者三百人、避難者 を載せた寺らの建物が沖合に流失したという。この後広村 も戸口急減して一小村となり、湯浅・栖原・田村・辰ケ浜 ・北湊などいずれも多大の害を被り、人畜の死傷、家屋の 流失するものが多かった。 |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ | 341 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 和歌山 |
市区町村 | 有田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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