[未校訂]「[重賢|しげかた]記」に云く
宝永四年十月四日[午|うま]の時さがり、[波濤|はたう][荒|あら]ひて、山も崩れ地
もさけ、家居もくつがへるかと思ふまで[震動|しんどう]して、[人皆|ひとみな][肝|きも]
をけし、あわて騒ぎけるに。忽高波よせきて、[山内村|やまのうちむら]南部川の西北岸
の家居こと〴〵く流れうせけり。老若男女此ありさまを見
て、あな恐し、[海面|うみづら]より高浪こそたち来りたれ、逃げよ遁
れよと声々にをめきさけびて、とるものもとりあへず、山
岡にはしりのぼりければ、我もまた人におくれじと、財宝
なども打捨てゝ、井の山へ登り、[苫|とま]ぶきのいほして、[苔|こけ]の
[筵|むしろ]に草の枕、三夜四夜ばかり起臥しぬ。あさましなどいは
んも更なり。されど河より此方へは浪も来らず、民家もあ
やまつ[事|こと]なかりしこそ、ありがたく覚え侍りけれ。[彼山|かのやま]に
ありしほど、或人の語りけるは、こゝより遙に[海面|うみづら]を見渡
し[侍|はべ]りしに、鹿島の沖より、[彼御山|かのおやま]を五つ六つ[重|かさね]もあげた
らん[高|たか]さの波立ち来たる中に、白く[圓|まどか]にして妙なる光あり
ける物の見えければ、怪しと目もはなたず、と見かう見、
しばしがほど見けるに、其波沖にして大小二つにわれ、大
なるは東の方へ行き、小きは此浦へ寄せ来り、彼まどかに
して光りしもの、大なる波の中にうち囲みてつれ行きし
が、[芳養|はや]の沖わたりとおぼしき所より、其波を離れて鹿島
の御山に飛びかへりぬ。いにしへもかゝりし事の有りける
事にやと、こまやかにかたり侍りし。是則鹿島の御神体に
して、[聊疑|いささかうたが]ふ所なかるべし。[扨|さて]こそ[彼山内村|かのやまのうちむら]のみにして、
[異|こと]里には波も来らざりけれ。
下略 宝永五[戊子歳|つちのえねのとし]六月吉日重賢本書鹿島社に蔵む。
加持ケ鼻岩 神内村耳切川の海に注げる左岸に突出でたる
大岩なり
昔此の所に王子社の祠ありしも、宝永年間の大震に津浪
のため打ち壊されて今は無し。