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項目 内容
ID J0900350
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔南輪内村誌〕○三重県▽
本文
[未校訂]紀伊の熊野も亦被害が甚だしく、中でも尾鷲の如きは千余
人、又一説には五百三十余人の死者を出したという、木本・
井上・有馬・阿田和・市木へは津浪が来なかったが、木本魔
見が嶋まで汐が引去って海中に大岩小岩が数多見えて、牛
の臥た如くに見え漸くして浜の中程迄浪が上ったという。
大泊・古泊・新鹿・遊木・二木島・曾根・賀田・尾鷲・長島
其の外東筋の浦々、又上方の浦々へも同様浪が襲来して、
大泊村は人家不残流失、清泰寺計り残っただけで、人も七
人流死した、新鹿も家が不残流失、二十四人流死、曾根の
在所は半分流亡したが、人は無難であった、と反古綴に出
ている。同月下旬迄毎日二三度つゝ地震が揺るので、人々
は三十日計り、山へ居住した。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 301
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 南輪内【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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