[未校訂]宝永四年(一七〇七)亥十月四日午刻(十二時頃)に大地
震があり、その日は晴天で雲一つもなかった。地震は一時
余りゆれ、石垣小屋は崩れ、地面は裂けた。半時程してか
ら高波が山のようにおし寄せて来た。前代未聞である。西
の河内は山の端まで、大里は山の腰二丈程上り、宮は流
れ、寺は軒まで潮がついた。玉戸は勝右衛門の畑の下迄波
がのった。世古の郷は山より二十間下まで波が乗り、家数
七十九軒のうち十六軒柱だけが残った。流死人二人、船、
御高札は別条がなかった。
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項目 | 内容 |
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ID | J0900330 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1707/10/28 |
和暦 | 宝永四年十月四日 |
綱文 | 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕 |
書名 | 〔ふるさとの民話と資料〕○三重県北牟婁郡海山町▽ |
本文 |
[未校訂]宝永四年(一七〇七)亥十月四日午刻(十二時頃)に大地
震があり、その日は晴天で雲一つもなかった。地震は一時 余りゆれ、石垣小屋は崩れ、地面は裂けた。半時程してか ら高波が山のようにおし寄せて来た。前代未聞である。西 の河内は山の端まで、大里は山の腰二丈程上り、宮は流 れ、寺は軒まで潮がついた。玉戸は勝右衛門の畑の下迄波 がのった。世古の郷は山より二十間下まで波が乗り、家数 七十九軒のうち十六軒柱だけが残った。流死人二人、船、 御高札は別条がなかった。 |
出典 | 新収日本地震史料 第3巻 別巻 |
ページ | 291 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 三重 |
市区町村 | 海山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
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