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項目 内容
ID J0900322
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔最明寺津波の塔碑文〕○三重県南島町贄浦▽
本文
[未校訂]○東方供養塔
宝永四丁亥冬十月四日午刻大地震之後高汐漲起当浦家不
残流失而男女六十人計溺死也今此経塚之所迄浪到也後来
若有大地震者必可知高浪来也為後鑑記焉為溺死亡霊菩提
○西方供養塔
宝永四年丁亥十月四日有大浪村人溺死者六十人余今年値
百五十年忌依之拝請隣刹之老尊宿等於前山修大施餓鬼以
営追福村中善男女亦施浄財以助其供養者也
嘉永七年寅十一月四日巳刻大地震又有大浪溺死者三人民
家六十余流出破損不知数也有大地震則有突浪古今相同後
人宜知之也
安政三丙辰十月
現住小比丘 宥方記焉
庄屋 西川善右衛門
当役
肝煎 中村吉郎兵衛
同 楠崎吉蔵
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 289
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 南島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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