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項目 内容
ID J0900312
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔徳田新田・禿松新田開墾碑〕○三重県度会郡大湊附近
本文
[未校訂] 徳田新田、禿松新田開発の起は、往昔大湊人家千戸に満
ち、田畝も相応にありて近境にて富饒の地ともいへりし由
なり。宝永四年丁亥の洪水に千石余の田畝流失せしより、
人家も次第に減じ、今にて四百余に成ぬ。其中鍛冶工匠を
業とするもの半に過るなり。是も昔にかはりて利潤少きに
つき、ひた衰へに衰へ、窮巷になりぬるは歎くにあまりあ
る事なり。其上近年米価沸騰して、世上一般の飢饉と成し
頃、此地はよそより菜色のきさし殊に多かりしかは、かく
ては行末いかにあらむと心あるもの歎きかなしみて、彼宝
永の洪水に流失せし徳田の旧地近年洲となり、浅瀬と成か
はりて、西南に続く禿松の荒地をも加へて開発せん事を思
ひ立て、終に天保七年丙申の十二月十日、おほやけに申文
を捧げしに、同十年己亥の二月廿二日、先徳田の旧地開発
のゆるしを蒙り、同年十二月廿一日、又禿松の荒地開発を
ゆるし給ひぬ。(後略)
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 285
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 大湊【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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