[未校訂]宝永四年十月四日畿内、南海、東海の一畿二道に渉り大地
震があり島田宿の如き殆んど宿内全部倒潰と云ふ有様で被
害は頗る甚大であった。当時の記録に、
大地震にて町家大分破損仕候、此節東西筋共宿々何れも
破損夥しき事に御座候、其の後江戸より御普請の為め仰
付積にて御奉行竹村惣左衛門様其代平□御勘定衆御出宿
々にて御普請仰付候、当宿の儀は江戸へ願書差上候て丹
後屋四郎左衛門に仰付候、島田分金二千九百両之内町中
相談の上にて金二千両にて下請仕候、御手伝として吉原
宿より金谷宿まで酒井左衛門様、西筋には本多吉十郎様
御掛りにて御座候
とある。此の震災は秋の収穫時であった所から流言蜚語に
災ひされ屋外の作業に安心して出掛けるものなく農家の野
良仕事は非常に遅れ困憊を極めたと伝へられて居る。
(前文略)所が此の折に大地震が爆発して宿の大部分が空
前の被害を蒙るに至った之れ実に宝永四年十月四日の事で
ある。此の大地震の痛手の為めに御位階宣下上願の事は次
漸中止の余儀なきに至ったけれ共、宿民の懇望に依り総べ
てを準備したら此の災害の為めに不可能に陥ったと云ふ事
は宿役人として出来得ない事情の下にあったので翌宝永五
年七月二日正一位の御位階を賜ったことにして表面を一時
糊塗した。