[未校訂]一所在地 焼津市一色三一五
文保元年勉之肯〓(ママ)和尚を開山として臨済宗光源寺を創立し
たのが当寺の始である。(中略)正保年間火災に遭い六世
梁岱和尚七堂伽藍を建立、宝永四年の地震に大破 十世間
禅和尚正徳三年諸堂を再建す。
六世梁岱和尚代遂に再建を完了した。梁岱和尚は七堂伽藍
の完備した寺院を念願した。禅宗における七堂伽藍は仏
殿・法堂・僧堂・庫裡・山門・浴室・東司(便所)を言うの
である。しかしこの時の再建は本堂・衆寮・庫裡・山門等
であったというがその規模についての記録を欠いている。
宝永四年十月四日、駿河、伊豆両国を中心として大地震が
襲った。この強震によって、南は九州の果から東は関東に
かけて沿岸地方は、その影響を蒙った程である。余震が続
き十一月二十三日、遂に宝永山を噴出するにいたった。
この地震によって六世梁岱和尚苦心の建築になる諸堂は尽
く倒壊の憂き目に遭った。