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項目 内容
ID J0900130
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔下田市の口碑〕○静岡県▽
本文
[未校訂](下田南高校青木一男教諭口述)
七軒町は、昔津波の時家が七軒残ったのでそう呼ぶように
なったのである。
(都司注)元禄十二年の「下田町水帳」(「下田年中行
事」所収)には「七軒町」の名は記されておらず、ただ
「城下町西がわ」と記されているのみである。また天保
年間の下田絵地図にはすでに「七軒町」の名がみえる。
元禄十六年津浪では下田は過半数の家屋が無事であった
ので、右の口碑にいう「昔の津波」がこの津波をさすと
は考えにくい。以上のことからここにいう「昔の津波」
とは宝永四年十月四日の地震津波であると推定する。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 112
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 静岡
市区町村 下田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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