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項目 内容
ID J0900111
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔可児町郷土史〕○岐阜県
本文
[未校訂] 可児町瀬田、小田并家の古文書に拠るに、一六二〇年の
寛(宝カ)永四年亥十月四日八ツ、(今の午后二時から四時迄)か
ら七ツ(四時から六時迄)迄で大地震ゆすり、今から三百
二十九年前夜になって十八回もゆすり、家のき並に倒れ翌
朝迄外に蓆を敷きて暮す。多くの家倒壊して皆泣き叫び、
馬も家の下敷となって死んだもの数知れずと記す。
この地震は、東濃から尾張がひどく、何千戸が倒れ三万
人の人が死んだ。「瀬田藤吉作八記」
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 106
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 岐阜
市区町村 可児【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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