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項目 内容
ID J0900066
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔法蔵寺史〕○長野県上水内郡小川村
本文
[未校訂] 宝永の地震=元禄に次いだ宝永。この四年(一七〇七)
十一月富士山は噴火し、宝永山が新たに生れた。富士火山
系の活動にともなふ地震が此の章の初に述べらるべきもの
であらう。
 北安曇郡志の語るところによると、三月十五日大地震、
千国村山岳崩れ男女三十人、牛馬八疋死亡。四ケ庄堀内村
人家四十八軒潰、男女十四人、牛馬三十六疋死亡。中谷村
雨中に於て二軒、来馬村雨中に於て四軒、同宮本に於て四
軒、土谷村の下瀬に於て六軒、同村由尾に於て二軒潰れ姫
川満水し沿岸の潰家を失すと。
 この十月四日大地震あり関東、東海の被害ことに甚大な
るものがあった。宝永四年(一七〇七)は春夏秋の三季と
も地震があり、ついに十月の大地震、十一月の富士噴火と
なったのであらう。寺記の録するところによれば、六月廿
五日北小川村川手区奈良尾地籍大抜けにて、四百石(馬曲
組)の人足を動員し人家を掘り出させたとあるが、この大
抜けも宝永地震に因るものではなからうかと推察されるの
である。 (法蔵寺蔵)
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 92
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 小川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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