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項目 内容
ID J0900064
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔松代町史 下〕
本文
[未校訂]1 宝永の地震
 宝永四年九月(ママ)四日八ツ時に大地震が起った。而して松代
の家中及び町家の潰倒せる家屋が八十軒の多きに達し、其
数は不明であるが死者もあったといふ。此年十一月東海道
に大地震起り宿々の被害夥しく、領主真田伊豆守も手伝を
命ぜられ、其費用を支出する為に家中は残らず半知お借り
となり、百姓にも百石に就いて五両宛の割合にて負担金を
上納せしめた。依って十万石領内の百姓大に困窮し、同五
年の正月十二三の両日に亘りて騒動を惹起するに至った。
同年冬より翌六年二月下旬迄は籾相場が拾両に五十八九俵
大豆七十俵なりしも三月には急に騰貴し籾六俵大豆廿五六
俵となった。
出典 新収日本地震史料 第3巻 別巻
ページ 91
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 松代【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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