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項目 内容
ID J0803395
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔新津市誌〕○新潟県
本文
[未校訂]㈠ 寛延度の震災
 日本はもともと火山国で地震と桜が名物と称せられ従っ
て県下にも時々記録に残る程の大地震が発生してゐるが、
下越の震源地帯は之とやゝ成因を異にし多くは信濃川沿岸
の地辷り、陥没に起因してゐる。上古中古の分は敢て言は
ず最近土地人の語り草に新しいものだけを挙げると先ず寛
延四年(一七五一、此年十一月宝暦と改元)四月廿五日の
震害である。之は中之嶋組、大面組(共に南蒲原郡で新発
田領)最も被害が激しく潰家二十九軒、後者では同三拾軒
を出し鵜の森組(中蒲原郡同上)では大川前野方六拾間の
六百間河中ヘメリ込んだといふ。併し之は信越を貫き長野
地方から高田に至る一帯に沿うた中央火山帯の活動で、こ
ちらはその余波を受けたもの、人畜に死傷ある程度ではな
かった。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 549
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 新津【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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