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項目 内容
ID J0803374
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔与板町史〕○新潟県
本文
[未校訂]寛延 四
〇四月廿五日
 夜八ツ時(午前二時)大地震にて御役所並に御土蔵の上
壁が落ち、町方にも被害あり、新町にて土蔵が二つ潰れ
た、五月二十日頃まで毎日少しづゝ地震あり、高田最も甚
しく、一万軒の中百軒ほど残して全部潰れたとのこと、其
の後廿八九日までの地震で残らず倒壊したと云い「死人三
百人ほどとも申し、五百人余とも申し」と伝えられた、そ
のためか当地方でも[出水|でみず]少く植え付が出来ぬ所もあり、植
え付け枯れの村もあり、気比宮村から見分願が出たほどで
あった。
 折から佐渡から帰った奉行が「御金荷物高田辺地震故、
御道筋あしく、御通りがたき由にて三国通に変更」の沙汰
があった。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 535
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 与板【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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