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項目 内容
ID J0803370
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1751/05/21
和暦 寛延四年四月二十六日
綱文 宝暦元年四月二十六日(一七五一・五・二一)〔高田・越後西部〕
書名 〔三和村誌〕○新潟県
本文
[未校訂]宝暦元未年(一七五一)………大地震
 大地震が四月二十五日丑の刻に起り、高田城大手門蹴出
が倒れ、其他城郭大破、土居が崩れた。春日・陀羅尼・稲
田・☓☓町より出火、焼死、圧死者が多かった。
榊原藩の被害潰家共九千百四拾八軒、外に長屋七拾七軒、
死人八百六拾七人、行方不明二百六拾弐人、死牛馬九拾九
匹、痛馬六拾匹と記している。
設楽忠兵衛様御代官所 川浦附之分
一潰家千四百五拾四軒 半潰千四百八軒
一焼失 弐軒 潰寺 弐拾参ヶ寺
一潰社 二ヶ所 社家 壱ヶ所
一郷蔵 弐拾ヶ所 死人 百九人
一死馬 三拾八匹
の書付けがある。
出典 新収日本地震史料 第3巻
ページ 531
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 三和【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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